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新説:古代中国の文明は日本人が作った?

      2017/01/20

アジアの古代文明と言えば黄河文明が有名ですが、
この地域の遺伝子を調べてみますと日本人と同じであることが分かります。
人種を特定する遺伝子はGm遺伝子と言われますが、
中国は北部と南部で全く違っていて、
北部の黄河流域のGm遺伝子は基本的に日本人と同じなのです。

しかしこれだけでは黄河文明を日本人が作ったとは言えません。
古代日本人が大陸に渡ったという十分な論拠が必要です。
黄河文明の発祥はブリタニカ国際大百科事典によりますと、
今から約6800年前からとなっています。
ではそれ以前の文明はどこにあったのでしょうか。

実は日本それも南九州にあったのです。
鹿児島で発見された上野原遺跡からは、
約7500年前に作られたとされる高度な縄文土器(ツボ型土器)や、
精巧な耳飾りなどが出土しています。

年代的には黄河文明より約700年も前ということになります。
ところがこの高度な文明は突然消滅してしまいます。
原因は大規模な火山噴火でした。
約7300年前の鹿児島沖の硫黄島で起こった海底火山(鬼界カルデラ:アカホヤの大噴火)は、
日本全土に痕跡を残しており、
南九州に最大1mの火山灰を降らせています。

上野原遺跡の地層調査で火山噴火のあと村落が消滅しており、
人骨が見つかっていないことから生活のできなくなった住民がどこかへ避難したと考えられます。
大多数の人は北部九州に移動したと考えられますが、
私は一部の住民が大陸に渡ったのではないかと考えています。

黄河文明は年代的に見てその直後に興っていますので、
高度な土器作りの技術を持った南九州の住民が大陸に渡り、
黄河文明を作ったということは十分可能性があるのではないでしょうか。
ただ縄の材料となる葦は温帯から熱帯の植物ですので、
黄河流域では縄文土器は作れなかったため、
違った紋様になったのではないかと推測されます。

結局日本人が黄河文明を作ったという論拠として、

(1)両方の住民の遺伝子(Gm遺伝子)が同じであること
(2)火山噴火によって住めなくなった南九州の住民の一部が大陸に生活の場を移したのではないかという相当な理由があること
(3)約7300年前に南九州で文明が消滅した後の約6800年前から黄河文明が栄えたという年代的なつながりがあること

の3点があげられます。

全く的外れな説ではないと思いますが皆さんはどのように思われたでしょうか。
文明は中国の方が古いとこれまでは半ば常識のようになっていましたが、
上野原遺跡のような黄河文明より古い高度な文明が見つかりますと、
これまでの常識に捕らわれない柔軟な解釈が必要になったと言えるのではないでしょうか。

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