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宗像一族は天皇家そのものだった

      2017/01/02

歴史学者は宗像一族を単なる豪族と位置付けており、
その優れた航海術に目を付けた大和朝廷が、
大陸との交易のために手なずけ親交を持った。
という解釈になっています。

宗像一族についての資料がほとんどないために、
大和朝廷の成立以降の関係のみで語られているようです。

宗像一族は本当に天皇家とは無関係の単なる一豪族に過ぎなかったのでしょうか?

私は縄文時代に九州で起こった出来事を考えますと、
宗像一族は正に天皇家そのものであったと思えますので、
以下でその根拠を示したいと思います。

異論のある歴史学者は是非反論していただきたいと思います。

私は海の道むなかた館と宗像大社で、
複数の学芸員にお会いしてこの根拠を示しましたが、
一人として反論される方はおられませんでした。
それどころか一部の方からは目から鱗だと言われましたし、
また別の方からはここまで理にかなっていれば反論の仕様がありません。
とまで言われたのです。

こんどはこの記事を読まれる皆さんが評価する番です。

今から約7300年前に鹿児島沖の硫黄島で、
すさまじい海底火山の大噴火が起こりました。
鬼界カルデラいわゆるアカホヤの大噴火です。
この噴火は南九州に最大1mの火山灰を降らせたことが、
鹿児島の上野原遺跡の地層調査で明らかになっています。

この地層からその噴火によってそれまであった縄文集落が、
消滅していることが分かったのです。
もちろん住民が絶滅したわけではありません。
硫黄島からの距離は最短でも50kmありますので火山弾は届きません。

もちろん海底火山ですから火砕流も溶岩流も論外です。
唯一火山灰ですが、
食料が尽きて餓死するまで住民はその場に留まるはずはありません。
これは生活が出来なくなった住民が、
火山灰の少ない北部九州などに移動したと考えられます。

古事記や日本書紀の記述から、
天皇のご先祖はもともとは日向に住んでおられたと考えられ、
この噴火によって天皇家のご先祖も日向の住民と共に、
北部九州に移られたと考えられます。

天皇家の移住先は現在の宗像市と福津市一帯だったのではないでしょうか。
なぜならこの一帯は天皇家とのつながりを伺わせる多くの証拠が残っているからです。

この地には天皇家を象徴すると言われる前方後円墳が高密度で存在しています。
また天照大神の両親であるイサナギ、イザナミをまつる八所宮の存在、
さらにはその3人の娘さんたち(3女神)がまつられた宗像大社が存在するなど、
他の地域にはない天皇家との深いかかわりをうかがわせる土地なのです。

天照大神は天皇家の元祖すなわち天祖と言われており、
もし宗像一族が天皇家とは血のつながりのない単なる一豪族とすれば、
そんな場所に天照大神の両親と娘さんたちをまつる神社が作られるでしょうか。

私は、日向で住めなくなった天皇家のご先祖が宗像に移住され、
宗像一族としてその地を拠点としたからこそ、
天照大神の両親と娘さんたちをまつる2つの神社が作られたと考えています。

その後縄文海進が起こり低地の集落は水没してしまいます。
これは佐賀で泥に埋まった状態で見つかった東名遺跡が、
当時の状況を明白に示しています。
九州はこれによって無人化します。
なぜならこの時期の縄文土器だけが出土していないからです。
代わりに朝鮮半島からよく似た櫛目文土器が出土し始めます。
これは九州で住めなくなった住民が朝鮮半島に渡ったと考えるのが自然です。

朝鮮半島は縄の材料となる葦が生息しないために縄文土器が作れず、
櫛で文様を付けたために櫛目文土器として出土していると考えられます。

天皇家のご先祖も朝鮮半島に渡られたのではないでしょうか。
天皇家のご先祖の移住先は後の百済となる半島南西部だったと考えられます。
これは天皇家(大和朝廷)と百済が属国関係と言われるほど緊密な関係を築いていたことからもわかります。
またこの地だけに前方後円墳が複数見つかっているのです。

その後約3000年前になると火山噴火と縄文海進の影響がなくなり、
天皇家は故郷である日向への帰還を決断されたのではないでしょうか。
私はこれを天孫降臨の史実と考えています。
このころから再び九州で縄文土器が出現しているのです。

記紀によりますと日本のことを葦原の中つ国と言っています。
朝鮮半島から見ると縄文海進で葦に覆われた日本がそのように見えたのではないでしょうか。

昔から天皇は朝鮮から渡って来られたとか、
百済出身だとかいう噂が絶えませんでした。
以上の歴史を考えますとこれは単なるうわさではなかったということになります。

天皇家は火山噴火で北部九州に移られて宗像一族としてこの地を統治され、
さらに縄文海進で朝鮮半島に渡られ、
自然が回復して九州が人の住める状態になったために戻ってこられた。
というのが神話の時代の実際の歴史ではないでしょうか。

百済と大和朝廷は頻繁に交流しているにも関わらず、
言葉の障害をにおわせる資料が一切見つかっていないのは、
正に両者が同族の関係にあったからに他なりません。

以上の天皇家の歴史の流れから、
宗像一族は正に天皇家そのものであったという結論になるのです。
宗像一族を天皇家とは全く血のつながりのない豪族と定義するほうが、
むしろ根拠のない推測だと思いますが皆さんはどう思われたでしょうか?


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