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驚き、高天原は百済(後に百済の国になる地)だった?

      2016/03/19

高天原の所在については、昔は次の3つの説がありました。
  
1.作為説
神話は作られたものであるから、考えること自体が無意味であるという説。
山片 蟠桃の説が代表的

2.天井説
神の住む所だから宇宙以外になく、それ以外の場所を考えるのは不遜であるという説。
本居宣長の説が代表的

3.地上説
これには国内説と海外説があります。
国内説には新井白石の常陸国(茨城県)が代表的
海外説には中国南部が代表的

現代の歴史学者は所詮神話にすぎないと研究対象となっていないようです。

私は神話といえども全く作為的に作られたものではなく、何かの根拠があるはずだと考え調べてみました。

その結果、驚いたことに高天原は百済だった可能性が高いことがわかったのです。

根拠は次の通りです。

ここでは鹿児島沖で実際に起こった火山の大爆発とからめ、それによって当然想定できる住民の移動を考えながら検証してみましょう。

 約7300年前に鹿児島沖の硫黄島ですさまじい規模の大噴火(いわゆるアカホヤの大噴火)が起こりました。
南九州に火山灰が1メートルも降りそそいだことが地層調査で明らかになっています。

南九州は作物の全く取れない状態になります。
とうぜん住民は北へ疎開せざるを得なくなり、日向に住む天皇家一族のご先祖も故郷を離れて北へのがれたことでしょう。

当時朝鮮半島は、韓国国立中央博物館の古代朝鮮の年表で分かるように人が住んでいませんでした。
そこで南九州の人たちに混じって天皇一族のご先祖も無人の朝鮮半島に渡ったに違いありません。

天皇一族のご先祖が日向の人と共に定住したのはのちの百済の国となる半島の南西部でした。
これは後の天皇家と百済王との親密な結びつきをみると明らかです。

一方、日向の国は大淀川という大きな川によって火山灰が流され人の住める状態に回復していきます。
天皇家の代表であった天照大神は日向の国の回復状態を調べるため孫のニニギノミコトを日向の国に派遣します。
先に帰郷していた日向の住民にとって突然の天皇一族の帰郷はまるで天から舞い降りたとしか思えない衝撃だったに違いありません。
これが後に天孫降臨の伝説となって残ったのではないでしょうか。
上野原遺跡で噴火の後4000年ほどたって住民が戻ってきていますが、
この時期と天孫降臨の時期が一致しているのです。

 以上のように現実に起こったアカホヤの大噴火とその影響により想定された天皇一族の疎開と帰郷を推測しますと、
高天原は百済(後に百済の国になる地)だったと想定されます。

どう思われましたか?

アカホヤの大噴火の時期と無人だった朝鮮半島に突然縄文土器が出土した時期がほぼ一致していることが最大の根拠になっています。

当然以上のような人の流れになるはずで、私はかなり高い確率で当たっていると考えています。

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 - 古代日本史, 歴史