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古事記と日本書紀こそが日本の本当の歴史

      2019/03/07

戦後GHQによって、
古事記と日本書紀は単なる神話の作り話。
という位置づけにされてしまいました。
しかし戦前まで日本の当然の歴史として教えられていたのです。

他国の歴史を強引に変える。
戦争に勝ったからと言ってとても許されることではありませんが、
日本が負けた以上それもやむを得なかったのかも知れません。

*GHQはあらゆる出版物に検閲をかけました。
すなわちGHQの意向に沿わないものはすべて排除されたのです。
従って結果として古事記と日本書紀は単なる神話の作り話とされたのです。

しかし70年以上たった現在、
本来の正しい歴史に戻すのはむしろ遅すぎた位ではないでしょうか。

では古事記と日本書紀は本当に史実なのでしょうか。
ここでは史実である可能性を3つの理由で検証したいと思います。

理由その1 古事記と日本書紀の内容が基本的に一致している

なぜ天武天皇は同じような歴史書を2つ作る必要があったのでしょうか。
天武天皇は正しい歴史を後世に残したいと語っておられます。
そのため2つのチームを作り、
両者が話し合わないように時期をずらして調査させ、
2つの結果を突き合わせたと考えられます。

*古事記は国内向け、日本書記は海外向けに作られたという説がありますが、
もしそうなら独立に2つ異なったものを作る必要はないはずです。
一つ作って国内向けと海外向けに編集した方が簡単だと思いますが皆さんはどう思われますか。

8年の隔たりをえて完成した2つの結果は大筋一致していたのです。
特にメインテーマである神武東征はルートが一致しており、
史実であった可能性を示していると言えるのです。

理由その2 日本各地に記載されている伝承や神社が残っている

現在の歴史は邪馬台国と卑弥呼が史実として記載されていますが、
国内にはその存在を証明できる伝承や神社が全く残っていません。
それに対して記紀には多くの伝承と神社が残されているのです。

例えば神武東征ですが、
数年前産経新聞の調査班が東征のルートに沿って調査しますと、
記紀に載っている以上の多くの伝承が残されており、
その中には作り話ではあり得ない伝承も含まれていることから、
神武東征は間違いなくあったと結論付けています。

また出雲では記紀に記載されている国譲りの神殿跡が見つかり、
国譲りが単なる作り話ではなかった可能性が出ているのです。

理由その3 古代日本で起こった自然現象と整合性がある

天孫降臨は日向と出雲で起こりました。
記紀が作り話と思われる最大の理由は、
神が天(高天原)から舞い降りて皇族に引き継がれるという、
何ともファンタジーな内容になっているからでしょう。

これは神話という形をとっているからで、
実際には高天原は地上にあったはずです。

高天原の実際の場所は諸説ありますが、
古代に起こった自然現象を考えますと、
朝鮮半島である可能性が高いと言えます。

日向のある南九州は鬼界カルデラいわゆるアカホヤの大噴火で、
人の住めない状態になったことが、
鹿児島の上野原遺跡の地層調査で分かっています。
それまであった集落が消失したのです。

天孫降臨がなぜ日向で起こったかということを考えますと、
もともと日向に住んでおられた天皇家のご先祖が、
この災禍によって故郷を追われてどこか(高天原)に疎開され、
その後日向に戻られたと考えると辻褄が合うのです。

常識的には最も近い北部九州に疎開されたと考えられます。
ところが北部九州の低地の集落は縄文海進で水没したのです。
佐賀で見つかった東名遺跡が当時の悲惨な状況を物語っています。
すべてが泥に埋まった状態で発掘されたのです。

その後北部九州の土器は激減しており、
直後によく似た櫛目文土器が朝鮮半島から出土し始めるのです。
これは北部九州の住民が朝鮮半島に移住した可能性を示唆しています。

高天原では日本のことを葦原の中つ国。
すなわち葦の中の国と表現しているのです。
縄文海進で日本の海岸部は葦に覆われました。
朝鮮半島から見ると、
日本は葦の中の国に見えたからではないでしょうか。

高天原を支配した天照大神は、
弟のスサノウノ命を出雲に降臨させます。
出雲にはスサノウノ命は海を渡ってこられたという伝説が残されており、
その時の船が石になったという舳先状の岩が信仰の対象になっているのです。
このことからも高天原は朝鮮半島だった可能性が高いのです。

その後天照大神の孫であるニニギノミコトが日向に降臨します。
そして出雲が大国主命に代わると、
天照大神の命令で日向への国譲りが行われます。

強大な出雲がなぜ日向に国を譲らなければならなかったのか、
それはニニギノミコトは天照大神の直系の孫であるのに対して、
大国主の命は天照大神の弟であるスサノウノ命の子供。
すなわち本家と分家の関係にあることから、
分家は本家の命令に逆らえなかったと言うことでしょう。

以上のように一連の流れは当時起こった自然現象や、
本家分家と言った関連と辻褄があっているのです。

全く日本国内に痕跡の無い現在の歴史認識である邪馬台国と卑弥呼と、
多くの痕跡が残っている記紀の記述と、
皆さんはどちらが史実としての信ぴょう性があるとおもわれますか?


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