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百済、新羅、高句麗はすべて日本人の国でした。

      2016/06/20

ボタンを最初に掛け違うとその後すべてが間違ってしまう。
この典型が古代の日本と朝鮮半島の関係でしょう。
古代朝鮮半島の住民を外国人という前提で出発したために、
その後明らかになったいろいろな出来事が不自然な解釈になってしまったのです。

仮に外国人の国だったとして次の疑問はどう説明できるのでしょうか?

1、日本との頻繁な交流
日本(九州)と朝鮮半島の遺跡からそれぞれの固有の特産物が見つかっています。
これは頻繁な交易が行われていた証拠です。
それにもかかわらず通訳を必要としていたという記録が全くありません。
(通訳の必要性を記述しているのは日本人の国ではなくなった統一新羅時代以降です)

2、大和朝廷と百済の緊密な関係
続日本紀の記述で桓武天皇の母君は百済出身ということでも分かるように、
姻戚関係まで結んだ程の深い関係だったことが分かります。

3、朝鮮の正史である三国史記に新羅の4代目の王はタバナ国(兵庫)
から来たという記述があります。

4.百済と高句麗が滅亡したとき百済王は日向の国(宮崎)へ、
高句麗王は武蔵の国(埼玉)へ逃げています。

5.戦前京都大学の梅原末治先生が高句麗の調査を行ったとき、
なぜこんな寒いところに亜熱帯地方の高床式家屋があるのか?
と驚かれたという記録があります。

6.鹿児島の歴史研究家加治木義弘氏によると、
歴代の高句麗王の諡号(戒名)に鹿児島や沖縄の地名が付けられているそうです。

7.アメリカの言語学者が高句麗の言語は日本語のルーツではないかと言っているように、
高句麗語と日本語は近かったようです。
特に数字は4つ一致しておりこれは確率的に偶然ではあり得ません。

8.半島南西部(百済の地)には大和朝廷を象徴する前方後円墳が集中しており、
百済が大和朝廷の支配下にあったことを示しています。

9.半島の古墳から出土した頭骨は形態学的に日本人だったことが証明され、
支配者は日本人だったということを示しています。

これらの事実を古代朝鮮人が日本人だったという前提で説明すると簡単ですが、
外国人だったという前提で説明するとかなり無理なこじ付けを必要とすることがお分かりいただけるはずです。

ではどうして古代朝鮮人が日本人だったと言えるのでしょうか?

実は縄文時代初期(約6000年前以前)に九州は2つの出来事によって人が住めない時期があったのです。
1つが火山の大噴火でもう一つが縄文海進による集落の水没です。

当時の朝鮮半島は遺跡が発見されておらず無人だったことが分かっています。
(韓国の国立中央博物館の古代年表より)
その後約6000年前から九州の縄文土器によく似た櫛目文土器が出土し始めるているのです。

この事実は火山噴火と集落の水没によって住めなくなった北部九州の縄文人の一部が、
無人の朝鮮半島に移り住んだと考えるのが自然です。
はじめは漁業を営んでいた彼らは、
稲作の技術とともに半島内陸部まで進出していったと考えることができます。

彼らは後に百済、新羅、高句麗という国を作り、
互いに競うように文明を進化させたために日本本土より高度な文明を作り上げたのでしょう。
この文明は日本本土に影響を与えたため、
朝鮮半島から高度な文明が伝わったという現在の歴史認識になったと理解できます。

ちなみに私は遺伝子の研究をしています。
遺伝子的に見ても古代朝鮮人が日本人と同じ遺伝子でないと、
現在の日本人と韓国人の遺伝子の関係にならないのです。

日本人と韓国人は男だけ遺伝子が違っています。
遺伝子的には後になって男だけ現在の韓国人の先祖と入れ替わったと考えるとつじつまが合うのです。

外国人である古代朝鮮人が日本に渡来人としてやってきた。
というはじめの間違ったボタンの掛け違いが、
文明は中国(外国)から朝鮮半島を経由して日本にもたらされた。
という我々の文明が外国からもたらされたという間違った歴史になってしまったようです。

日本の文明は日本人が朝鮮半島に渡って自ら作り上げたものだった。
というのが本当の歴史のようです。

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 - 古代日本史, 歴史