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教科書では教えない古代日本の本当の歴史

   

古代において日本と朝鮮半島の間で頻繁な交流が行われていたことは、
お互いの特産物が相互に見つかったことが証明しています。
外国との交流には言葉の壁が一番問題のはずです。
ところが言葉の違いや通訳の必要性を感じさせる資料は統一新羅以降で、
それ以前は一切見つかっていません。

これはどういうことでしょうか?
同じ言葉を使っていた可能性が高いということではないでしょうか。
言葉が同じということは同じ民族ということです。
朝鮮半島に住む大陸から来た全くの別民族が、
日本人と同じ言葉を使っていたということはありえないことです。

また沖ノ島には海の守り神として天照大神の娘さんが祭られており、
多くのお供え物が発見されています。
中には金銀などの高価な品がありながら奪い合いにならなかったのはなぜでしょうか。
交易相手どおしで余程の信頼関係がなければ成立しないはずです。

外国通しの関係で成り立つ話ではないでしょう。
日本人通しでしかも両者の支配者には血縁関係のような、
深い関係があったはずだと思われませんか?

ではなぜ朝鮮半島に日本人がいたのでしょうか。

韓国国立中央博物館で出されていた古代年表を見てみますと、
約12000年前から約7000年前の約5000年間の地層から遺跡が全く発見されていません。
これはこの間朝鮮半島には人が住んでいなかったということです。
その後約6000年前から北部九州の縄文土器に類似した櫛目文土器が出土し始めるのです。
この事実は北部九州の縄文人が朝鮮半島に移り住んで櫛目文土器を作ったと考えるのが自然です。

ではなぜ日本人がわざわざ朝鮮半島に渡る必要があったのでしょうか?

実は約6000年前は縄文海進の最も大きかった時期で、
気温が現在より1,2度高かったために海水面が数m高かったことから、
日本列島の奥地まで海が入り込んでいたことが分かっています。

そのため低地にあった集落は水没したと考えられます。
これは佐賀県で見つかった泥に埋まった東名遺跡が証明しています。
生活できなくなった集落の住民が朝鮮半島に移住したのではないでしょうか。
半島南部の海岸で当時の丸木舟が見つかっているのです。

また九州ではこの時代の縄文土器はほとんど見つかっておらず、
朝鮮半島からよく似た櫛目文土器が出土し始めているのです。
これは九州北部の縄文人が半島に渡った何よりの証拠です。

以上が事実だとすれば古代朝鮮は日本の領土だったということです。

ここからはもう少し時間をさかのぼって古代九州で何が起こったのか見てみましょう。

約7300年前鹿児島沖の硫黄島ですさまじい海底火山の大噴火が起こりました。
鬼界カルデラいわゆるアカホヤ大噴火です。
この火山はほぼ日本全土に火山灰を降らせ、
特に九州南部には最大約1mの火山灰を降らせたことが、
鹿児島の上野原遺跡の地層調査で明らかになっています。

生活できなくなった縄文人たちは被害の少ない北部九州に移動したはずです。
そこで約1000年間主として漁業で生活を営んでいたと考えられます。
漁具や貝塚が見つかっているからです。
ところが上記の縄文海進が起こり、
低地の住民は無人の朝鮮半島に渡り、
稲作の普及とともに半島内部に進出したと考えられます。

彼らは後の百済、新羅、高句麗を作り、
互いに争って文明を進化させたため、
むしろ本国である日本列島より文明が進化し、
それが日本列島に伝わったため高度な文明が朝鮮半島から伝わった。
という歴史観になったのではないでしょうか。

文明は先進国である中国から朝鮮半島を経由して渡来人が伝えた、
というこれまでの歴史教育は間違っており、
実際は日本人が無人の朝鮮半島に渡り文明を進化させて、
それが本国に広まったというのが古代日本の本当の歴史のようです。


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 - 古代日本史, 歴史