中国からの稲作の技術は日本人が、仏教と漢字は中国人が伝えた
2021/01/21
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渡来人と一口に言いますが、
正確には全く違う2種類の人種だったことが遺伝子で分かりました。
それは縄文時代に大陸に渡った縄文人すなわち日本人と、
後になって縄文人に代わって大陸を支配した中国人です。
以下で詳しく解説します。
縄文時代の日本は大規模な火山噴火(アカホヤの大噴火)と縄文海進によって、
西日本はほとんど人の住めない環境になってしまいました。
これは縄文時代の人口調査で明らかになっています。
西日本の多くの縄文人は東日本や大陸に移動したと考えられます。
大陸に渡った日本人は黄河文明や稲作を始めた中心メンバーになりました。
*アカホヤの大噴火は約7300年前に薩摩硫黄島で起こっており、
その後約7000年前に黄河文明が起こっていることから、
黄河文明は噴火から逃れて大陸に渡った日本人が作った可能性が高いと言えます。
*黄河文明は、
ブリタニカ大百科事典では約6800年前、
ウイキペディアでは約7000年前となっています。
はるかに古い土器は見つかっていますが、
文明と言われるからにはそれなりの規模が必要なはずです。
日本人が加わったために文明になったのではないでしょうか。
黄河文明が起こった一方中国の江南地方では、
この頃の大量の稲のプラントオパールが見つかっていることから、
日本人を中心に長江流域で米作りが開始されたと考えられます。
約4000年前になると縄文海進が収まり大地の乾燥化が始まります。
これは中国とアメリカの遼河文明の合同調査で明らかになっています。
乾燥化が始まりますと畝を作る必要が生じ、
海に囲まれたため乾燥化が遅れた日本列島より水田の耕作技術進んだと考えられます。
約3000年前前後すなわち弥生時代になって大陸で戦乱が頻発します。
農民は難民となり農地をすてて日本に渡ったと考えれれるのです。
この人たちが第1回目の渡来人です。
すなわちこの人たちは日本から渡った縄文人と言うことになります。
これは言語と遺伝子が証明しています。
日本に大量の渡来人が押し寄せたにも関わらず日本語がほとんど変化していないのです。
また遺伝子も全く変化していないことがハーバード大学と東京大学で確認されています。
日本人の遺伝子はY染色体のD系統(縄文系)とO系統(大陸系)ですが、
O系統が入ったのは5世紀以降だと分かったのです。
すなわち弥生時代の住民にはO系統は無く、
渡来人によって変化していない。
すなわち渡来人はD系統つまり日本人だったということです。
*渡来系弥生人は縄文人に比べて長身、長顔だったことが分かっています。
これは渡来系弥生人に当時大陸に住んでいたウラル系住民が若干混入したためだと考えられます。
現在人で比較しますと日本人より韓国人も中国北部の人も大柄です。
これはウラル系のY染色体N系統の比率が高い(日本人は約2%、中国北部と韓国人は約5%)からだと考えられます。
ウラル系は白人の血が混じっていることが理由のようです。
大陸北部の遼河文明はウラル系の文明と言われています。
黄河や長江にもウラル系の人たちがいて、
大陸に渡った日本人がウラル系と交わった結果、
渡来系弥生人が長身、長顔になったのではないでしょうか。
*テレビ番組で大量の渡来人が入ったのに縄文文化が維持されているのは不思議だ?
と解説していました。
これは大陸に縄文人が渡ったことが理解できていない証拠です。
文化だけでなく遺伝子や言語も変わっていないのです。
これを考えれば渡来人は日本から渡って行った縄文人だとすぐに分かるはずなのに。
なぜ気づかないのかと不思議に思ってしまいます。
弥生時代に大陸では戦乱によって遺伝子が入れ替わりました。
すなわちD系統(縄文人)がO系統(中国人)に入れ替わったということです。
*これは中国の前漢、後漢の交代時期に該当します。
これは東京大学の古代人骨の遺伝子解析で明らかになったのです。
その後古墳時代すなわち5世紀頃になって日本は大陸の文化を取り入れようとします。
この結果大陸から仏教と漢字がもたらされたのです。
従って2度目の渡来人は日本人に代わって大陸を支配した中国人だということになります。
すなわち、
1.弥生時代の稲作の技術は大陸に渡った日本人自身がもたらした。
2.5世紀の仏教と漢字は中国人がもたらした。
というのがこの記事の結論です。
いかがでしたか。
遺伝子解析は従来の歴史認識を大幅に変えることがお分かりになったと思います。
歴史教科書の修正を願っています。
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