情報メディア発信局

様々な情報コンテンツを発信していきます!

縄文海進が稲作という生活様式をもたらした?

      2017/03/05

水田は見慣れていますので疑問に思われないかも知れませんが、
よく考えると実に人工的な栽培方法だと思われませんか?
ただ植えて収穫するのではなく、
畝を作って水を張り、その中で栽培するという独特な栽培方法です。

稲作が行われたのは弥生時代からだとずっと教わってきましたが、
現在では縄文時代の約3000年前までさかのぼれる(プラントオパールの検出では約6000年前との報告もある)
ことが分かってきました。
これを知ったとき私は稲作は縄文海進と関係があるのではないかと思ったのです。

縄文海進は約6000年前がピークで、
海面上昇により広大な平野部が作られました。
その後約3000年前までにはほぼ現在の水位に戻っています。
この時期が稲作の開始時期とほぼ一致しているのです。

縄文海進に見舞われた縄文人は湿地状態で何か作物が作れないか考えたはずです。
湿地に適した植物はそれほど多くありませんが、
その代表に葦があります。

平野部はほとんど葦に覆われていたことでしょう。
実は葦はイネ科の植物なのです。
稲が湿地でも栽培できることに気付いた縄文人は、
水耕栽培を始めたに違いありません。

そうであるなら縄文海進が水稲をもたらしたといえ、
稲作は縄文海進がなければ生まれなかったのかもしれません。

縄文初期の約6000年前から稲作が行われていたにもかかわらず、
平野部全体が湿地帯だったため畝や農具の必要がなく、
そのため遺跡に畝や農具が残されなかったのではないでしょうか。

縄文海進が収まり平野部が乾燥しはじめた弥生時代になると、
畝を作って水を張る必要性が生じて畝や農具が遺跡として残ったために、
長い間稲作は弥生時代に始まったと言われてきのではないでしょうか。

少し本論から外れますが、
日本では稲作は上記のように約3000年前まで(プラントオパールからは6000年前まで)さかのぼれますが、
朝鮮半島では約1500年前までしかさかのぼれないそうです。

このことから見ても従来言われていたような、
稲作は中国から朝鮮半島を経由して日本に伝わったのではなく、
逆に中国から日本に直接伝わり、その後縄文人が朝鮮半島移り住んだために伝わった。
と考えた方がよいのではないでしょうか。
稲の遺伝子分析の結果から見てもそのほうが妥当だと言われているのです。

実は私は稲作が中国から伝わったということも疑っているのです。
なぜなら約6000年前のプラントオパールが日本各地で見つかっているからです。
その中には明らかに栽培されたと思われるものも見つかっており、
日本では縄文初期から稲作が行われていたと思われるからです。
稲が湿地で育つことは中国でなくとも気付くことで、
中国と日本で別々に始まったと考えても不思議ではないのです。
ただ稲作に使われる農具の一部は中国から伝わったのかも知れません。
なぜなら大陸である中国は島国の日本より土地の乾燥が早かったため、
畝や農具の開発が先行したと考えられるからです。

いずれにせよ縄文海進などの自然現象が、
稲作という人類の基本的な生活様式を変えた、
大きな要因になったことだけは確かなようです。


スポンサーリンク

 - 古代日本史, 歴史, 生活