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日本の始まりは九州北部の宗像だった

   

天皇家のご先祖が日向の国すなわち今の宮崎県に住んでおられ、
古事記や日本書紀に天孫降臨などの神話が多く残されていることから、
神々が最初に降り立ったのは宮崎だという認識が一般的でしょう。

しかし天孫降臨が日本の始まりであり、
天孫降臨の着地点が宮崎ではなく九州北部の宗像であったとするなら、
日本の歴史は宗像から始まったということになるのではないでしょうか。

天孫降臨は神々の住む高天原を支配していた天照大神の命令で、
孫のニニギノミコトが日本を治めるために降臨したことで、
そこから日本の歴史が始まったということになっています。

では天孫降臨の着地点は宮崎でなく宗像だったという根拠を説明しましょう。

まず高天原の実際の場所です。
これについては昔から多くの意見があり、
単なる神話の作り話だから架空の場所であるとか、
恐れ多くも神々の所在地を詮索すること自体が恐れ多いことだ。
など歴史研究として一種のタブー視されていた面があるようです。

多くの人は降臨という響きから天から舞い降りたという認識の方が多いのではないでしょうか。
これによって神話がファンタジーな内容に受け取られ、
結果として作り話と思われたのではないでしょうか。

実際には降臨は高貴な場所から庶民の暮らす場所に来られるという意味で、
高い位置から低い位置に移ることではないのです。
現在でもJRでは天皇のおられる東京へ向かう路線を上り、
逆の路線を下りと言いますが位置的な上下ではないことはお判りでしょう。

では実際の高天原はどこにあったのでしょうか?

私は朝鮮半島南西部つまり後の百済となる場所だと思っています。
理由はスサノウの命とニニギノミコトを送り出すとき、
天照大神は葦原の中つ国を治めるように命じているのです。

すなわち日本のことを葦の中の国と表現しているのです。
日本は縄文海進によって平野部は一面葦に覆われていました。
一方朝鮮半島は葦の生息域ではないため葦は生えておらず、
朝鮮半島から見ると日本は葦の中の国に見えていたはずです。

ではなぜ朝鮮半島に神々すなわち天皇家のご先祖がおられたのでしょうか。

7300年前鹿児島沖の硫黄島ですさまじい規模の海底火山の大噴火が起こりました。
鬼界カルデラいわゆるアカホヤの大噴火です。
鹿児島の上野原遺跡の地層調査から南九州で最大1mの火山灰が降り注いだことが分かりました。

日向に住んでおられた天皇家のご先祖は生活の場を奪われ、
北部九州に移られたはずです。
天皇家の移住先は今の宗像市付近ではないかと思われます。
理由は天皇家とのつながりを伺わせる多くの証拠があるからです。

天照大神の両親が祭られる八所宮の存在、
天照大神の3人の娘さんが祭られる宗像大社の存在、
さらには天皇家を代表すると言われる前方後円墳がこの地に高密度で存在していることなど、
天皇家が住んでおられた可能性が他の地域に比較して高いと思われるのです。

ところが今から約6000年前になると今度は縄文海進によって村落が水没してしまいます。
これは佐賀県で見つかった泥に埋まった東名遺跡が当時の状況を表しています。

九州ではこの頃だけ縄文土器がほとんど見つかっておらず、
村落の水没によって人がどこかへ移動したことを示唆しているのです。

丁度このころから朝鮮半島でよく似た櫛目文土器が出土し始めているのです。
これは九州の縄文人が朝鮮半島に移り住んだ可能性が高いと考えられます。
先に述べたように朝鮮半島は葦の生息域から外れており、
縄が作れなかったために櫛で文様を付けたのではないでしょうか。

天皇家のご先祖は朝鮮半島で一緒に移住した日向の住民をまとめられ、
今から約3000年前になって支配者が天照大神の時、
火山噴火と縄文海進の影響が無くなり、
故郷である日向への帰還を決断されたのではないでしょうか。

私はこれを天孫降臨の史実だと考えています。

女性であり高齢であった天照大神は海を渡ることができず、
代わりに弟のスサノウノ命を出雲へ、
孫のニニギノミコトを日向へ派遣したと考えられます。

命令を受けたニニギノミコト一行は海を渡り、
宗像に上陸した後、
猿田彦の道案内で日向を目指したと考えられます。

宗像から鞍手へ向かう峠を猿田峠と言い、
ここが天孫降臨のルートだったためこの地名が付けられたのではないでしょうか。
途中に猿田彦を祭った豊日社と遠賀川沿いに猿田彦神社があるのは、
ここが天孫降臨のルートだった可能性を示唆しています。

鞍手に入ったところに六ケ岳があり、
宗像大社に祭られている三女神は実際にはここが三女神の降臨場所だという言い伝えが残っているのです。
私はニニギノミコトの叔母にあたる三女神はここまで同行し見送ったのではないかと解釈しています。

以上から天孫降臨でニニギノミコト一行が最初に降り立った日本の地は、
宮崎ではなく宗像ということになります。
天孫降臨を日本の歴史の始まりとすれば、
正に日本の歴史は宗像から始まったと言えるのではないでしょうか。

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