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高天原が朝鮮半島だった3つの理由

      2017/02/26

古事記や日本書紀によりますと、
高天原は神々が生まれ出る場所とされており、
天照大神が支配されていた時、
弟のスサノウノ命が出雲へ、
孫のニニギノミコトが日向へ天下ったとされています。
それにより日本の歴史が始まったということですが、
では高天原は一体どこにあったのかということです。
これについて昔から様々な議論があって、
未だに統一した見解が示されていないのが現状です。
そもそも神々とは天皇家のご先祖のことですが、
ここでは高天原が朝鮮半島であった3つの理由を挙げてみましょう。

理由その1. 天皇のご先祖が朝鮮半島に渡る明確な理由があった。

      約7300年前に鹿児島沖の硫黄島ですさまじい海底火山の噴火
     (鬼界カルデラいわゆるアカホヤの大噴火)が起こり、
      続いて約6000年前に縄文海進が起こりました。
      この二つの災禍によって九州は人が住めない状態になりました。 
      これはこの時期にほとんど九州で縄文土器が見つかっていな
      いことが証明しています。
      一方韓国国立中央博物館で出されていた古代年表を見ますと、
      朝鮮半島で約6000年前までは土器が見つかっていませんが、
      それ以降に突然九州北部の縄文土器によく似た櫛目文土器が出土しています。
      これは九州の縄文人が上記の2つの災禍から逃れるため、
      朝鮮半島に移り住んだと考るのが自然です。
      朝鮮半島は気候の関係で葦の生息範囲を外れており、
      縄が作れなかったため櫛目文土器になったと考えられます。
      日向に住んでおられた天皇家のご先祖も火山噴火で、
      はじめ九州北部の宗像市付近に移住されましたが、
      その後の縄文海進によって朝鮮半島に渡られたと考えられます。
      後に成立する百済は大和朝廷と緊密な交流を保っており、
      天皇家として同族の関係にあったと考えるのが自然なのです。

理由その2. 天照大神が日本を葦原の中つ国と表現している。

      天照大神がスサノウノ命とニニギノミコトを降臨させるとき、
      葦原の中つ国を治めるように命じています。
      これは高天原から見ると日本が葦の中にある国に見えていた、
      ということを意味しています。
      日本列島は縄文海進によって平野部は湿地帯となり、
      一面葦で覆われていたはずです。
      一方朝鮮半島には温帯から亜熱帯が生息域である葦は生息できなかったのです。
      このことから、
      日本や倭という表現がまだ無かった当時の人たちは、
      日本列島をこのように表現したと考えられます。

理由その3. スサノウノ命が降臨した出雲には、
         スサノウノ命は船で来られたという伝説が残っています。

       出雲ではスサノウノ命が船で渡ってこられたという言い伝えが
       残っています。
       その時の船が石になったという、
       丁度舳先が地面から突き出したような大きな岩があり、
       信仰の対象になっているのです。
       出雲から見て高天原は海の向こうにあったということです。
       スサノウノ命のご子息である大国主命が強大な国にしますが、
       天照大神の命令によってニニギノミコトに国譲りをします。
       以前は単なる神話の作り話と思われていましたが、
       国譲りの条件とされた大規模な神殿跡が見つかったことから、
       国譲りは史実ではないかと言われるようになったのです。

以上の3つの理由から高天原は朝鮮半島であった可能性が高いということになります。
昔から天皇家は朝鮮半島や百済とのつながりが噂されてきましたが、
高天原が朝鮮半島にあったとすれば事実だったということになります。

ここでは省略しましたが、
朝鮮半島で見つかった前方後円墳の内部は日本方式であり、
人骨の形態も遺伝子も日本人であることが証明されているのです。
これは古代朝鮮半島の住民は日本人だったということです。
 

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