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稲作自体は中国から伝わったのではない?

   

稲作の始まりは中国の江南地方と言われています。
これはこの地域の米の種類が多いのと、
遺跡から農耕技術や習慣が日本と似通っているため、
日本の米作りの発祥の地だと思われているようです。

しかしプラントオパールの分析の結果、
日本にも縄文時代に稲作が行われていた証拠が見つかっており、
農耕の始まりの時期に中国と日本で大差がない可能性が出てきたのです。

私はそもそも米作りは縄文海進がきっかけであったと考えています。
縄文海進は約6000年前をピークに海水面が上昇し、
海が内陸奥地まで侵入した現象です。
現在の平野部はこの縄文海進が作ったと言われています。

日本や中国の江南地方の平野部は葦で覆われたはずです。
葦はイネ科の植物ですので、
当時の人たちは湿地帯でも生育できる米の栽培を始めたと思われます。

その後徐々に海水面は下がり、
干上がった土地は乾燥化が始まります。
米作りを維持するには畝を作って水を張るという、
独特の工夫が必要となったのです。

大地の乾燥化は、
海に囲まれた日本より大陸の江南地方の方が早かったはずです。
そのため、
畝を作るという農耕の技術が江南地方の方が早かったのでしょう。
やがて日本も乾燥化が始まったとき、
先行していた江南地方の技術が日本に導入されたのではないでしょうか。

もしそうであるなら農耕の技術が伝わったのであって、
米作りそのものが中国から伝わったのではないということになります。

プラントオパールは何千年たっても変化しない性質があり、
縄文海進のあった約6000年前には、
すでに日本でも米作りが行われていた可能性が明らかになったのです。

この時代に大陸との交流があるはずもなく、
米作りは縄文海進でできた湿地帯で個別に始まったものと考えられ、
畝を作る必要がなかったため遺跡として残らなかったと考えられます。

日本では長い間、
農耕技術が江南地方から伝わったということから、
すべての文明が中国の方が先進的だったと思われてきました。
しかし縄文の高度な文明が日本の各地で見つかりますと、
中国の方が先進的だったという先入観は間違いだということになるのです。

古い先入観がベースになった歴史は、
根本的に見直すべきだと私は考えています。

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