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古代朝鮮半島の住民が日本人だった9つの理由

   

私は宗像市にある海の道むなかた館に行って複数の学芸員の方に、
古代朝鮮半島(百済、新羅、高句麗)の住民は日本人だったのか、
それとも外国人(今の韓国人の先祖)だったのかを質問しましたが、
誰一人として明確に答えられる方はおられませんでした。

沖ノ島が世界遺産になろうとしている時に、
貿易の相手方が何者だったのかも分からないのは、
何とも不思議な気がして私なりに調べてみました。

結論はすべて日本人だった可能性が極めて高いということでした。
その理由は次の通りです。
 
理由その1.  頻繁な交易をしていたにもかかわらず言葉の障害を伺わせ 
        る記録が全くないこと。
        (続日本紀に新羅と交渉するため若者に新羅語を習わせた
         と言う記述がありますがこれは統一新羅以降のことです)

理由その2.  古墳内部が日本方式であり、出土する人骨の形態や遺伝子
        が韓国人よりはるかに日本人に近いこと。

理由その3.  アメリカの言語学者によって行われた研究で、
        高句麗語は日本語に近かったという研究報告があり、
        特に数字が4つ一致しているのは、
        偶然ではあり得ないそうです。
        ちなみに現在の韓国語とは一つも一致していません。
日本語と韓国語の関係を研究した東洋史家の白鳥庫吉は、
        両者は疎遠であると述べています。
        すなわち日本語と高句麗語は近いが、
        韓国語とは遠いということです。

理由その4.  九州は火山噴火(アカホヤの大噴火)と縄文海進の頃の
        縄文土器がほとんど見つかっておらず、
        直後に朝鮮半島で北部九州の縄文土器によく似た、
        櫛目文土器が出土していること。
        これは九州で住めなくなった縄文人が朝鮮半島に渡ったと
        考えられること。

理由その5.  韓国の正史である三国史記に新羅の四代目の王はタバナ
        国(今の兵庫県)から来たという記述があること。
        常識的に考えても、
        外国人を王様にすることはあり得ないはずです。

理由その6.  鹿児島の歴史家である加治木義弘氏によりますと、
        高句麗の歴代の高句麗王の諡号(戒名)に、
        鹿児島や沖縄の地名が付けられているそうです。
        これは火山噴火で住めなくなった九州南部の縄文人が、
        朝鮮半島に渡って高句麗を作ったと考えれば納得できます。

理由その7.  戦前京都大学の梅原末治先生が高句麗の調査をしたとき、
        亜熱帯地方にしか見られない高床式のカリエン家屋がある
        のをみて驚かれたという記録があります。
        この理由は理由その6と同じです。

理由その8.  百済と大和朝廷は属国関係にあると言われるほど、
        緊密な関係を維持していたこと。
        続日本紀に桓武天皇の生母は百済王の子孫だという記載
        があり婚姻関係を結ぶほど緊密だったということです。
        これは両者が同族だったと考えれば納得できます。
        
理由その9.  百済と高句麗が滅亡したとき、
        両国の王様は日本に逃げていること。
        もし両国が日本人の国で無ければ考えにくいことです。
        

最近の国際的な調査で、
現在の韓国人の遺伝子が、
アムール川のほとりにある悪魔の門の洞窟で見つかった
二体の人骨の遺伝子と一致したそうです。

朝鮮半島の古代遺跡の人骨の遺伝子からは、
日本人である可能性が高いことから、
日本人が理由その4で述べた二つの災禍から逃れて朝鮮半島に渡り、
後の百済、新羅、高句麗を作った後、
アムール川一帯に住んでいた現在の韓国人の男の集団が南下し、
新羅を支配したのち唐と組んで、
白村江の戦いを起こして日本人男性を半島から追い出した。
ということではないでしょうか。
古代遺跡から見つかっている日本人の男の遺伝子(Y染色体D系統)が、
現在の韓国人男性に見られないことがこの事実を物語っています。

米国の言語学者による、
日本語は高句麗語に近く韓国語は新羅語に近い
という研究結果は、
新羅が韓国人に支配された後の状態だと考えられます。

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