情報メディア発信局

様々な情報コンテンツを発信していきます!

縄文遺跡が西日本より東日本に多い理由

      2017/07/23

縄文遺跡は西日本より東日本の方が圧倒的に多いことが分かっています。
常識的には西日本の方が温暖なため、
海も山も食材の種類は多いはずです。
生活は温暖な西日本の方が有利なはずです。

私は福岡に住んでいますが山にはどんぐりや椎の木が多く見られます。
海には多くの魚介類が生息しています。
東日本の方が食材が多かったというような説には疑問を持っています。
ではなぜ東日本に人口が集中していたのでしょうか?
私はこの理由は葦にあったと考えています。

縄文遺跡の年代を見ますと、
縄文海進のあった6000年前を境に、
例えば九州では上野原遺跡や東名遺跡のように、
7000年以上前の古い遺跡が見つかっているのに対し、
東日本では三内丸山遺跡のように6000年前以降の比較的新しい遺跡が多く発見されています。

しかも縄文海進以降西日本の人口が減少しているのに対し、
東日本の人口が増加しているのです。
縄文海進が西から東に人口の移動をもたらした。
と考えられないでしょうか?

もしそうだとすると縄文海進によって、
西日本より東日本の方が食材が得やすい状況になった。
という仮定が成り立つはずです。

縄文海進が起こると植物の生態系が変化します。
特に問題なのが葦の生態です。
海進でできた湿地の平野部は葦で覆われたはずです。
葦は温帯から熱帯の植物ですので、
東日本より温暖な西日本の方が多かったはずです。

葦で覆われた平野部で暮らすことを想像してください。
葦原は野生動物の生態には有利かも知れませんが、
人間にとってはいい環境とは言えません。

丸木舟で漁に出かけるにも障害になりますし、
だいいち岩場が葦で覆われますと、
食材の貝や海藻が激減するでしょう。

このような状況が葦の多い西日本の生活環境を悪化させ、
葦の少ない東日本への人口移動をもたらしたと私は考えています。
関東平野には特に多くの縄文遺跡がありますが、
利根川と多摩川に鮭が遡上していたことが理由だったようです。

朝鮮半島でも同じことが起きました。
縄文海進の後九州の縄文土器が減少し、
直後に朝鮮半島でよく似た櫛目文土器が出土し始めています。
これは九州の縄文人が葦によって生活の場を奪われ、
葦の生えない朝鮮半島に生活の場を移したと考えられるのです。
葦は朝鮮半島では生息できませんので縄が作れず、
紋様を櫛で付けた為に櫛目文土器になったのではないでしょうか。

このように縄文海進が生態系を変え、
縄文人がより食材の求めやすい東日本や朝鮮半島に移動した結果、
縄文海進の影響のあった時期の西日本の縄文遺跡が東日本に比べて、
極めて少なくなっているのだと説明できるのです。

その後海退が起こって海水面が下がり、
弥生時代になってほぼ現在の海岸線に戻っていますので、
九州にも吉野ケ里遺跡のような大規模集落が作られるようになったのは、
大地の乾燥化によって葦が減少して生態系が回復したために、
拡散していた住民が戻ってきたと推測できます。

縄文晩期から弥生時代にかけて東日本で人口が減少しているのは、
西日本の生態系が回復したために、
人々が東から西へ逆流したためではないかと私は考えています。
上野原遺跡の地層で弥生時代に再び集落が確認されているのは、
正にこのことを証明しているのではないでしょうか。

さらに付け加えますと、
西日本の遺跡は低地が多いのに
東日本の遺跡は台地に多く見られます。
これは西から東に移住した住民が、
縄文海進による集落の水没にこりたために、
あえて台地上に集落を築いたためだと考えられるのです。

以上のことから人の移動は縄文海進がもたらし、
その原因が葦にあったという可能性が高いと思われますが、
皆さんはどう思われたでしょうか。


スポンサーリンク

 - 未分類