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天孫降臨はなぜ日向(宮崎)の高千穂の峰で起こったのか?

   

古事記や日本書紀(以下記紀と略す)の記述によりますと、
天孫降臨とは高天原の天照大神の命令によって、
孫のニニギノミコトが日向の高千穂の峰に降り立ったことになっています。

なぜ降臨先が日向(宮崎)の高千穂の峰だったのかを考える前に、
そもそも高天原とはどこだったのかを考えてみましょう。

天照大神やニニギノミコトは天皇のご先祖ですので、
神ではないことは言うまでもありませんし、
ましてや天から降りてきたはずでもありません。
高天原は地上のどこかにあったはずです。

記紀によりますと天照大神はニニギノミコトに、
葦原の中つ国を治めるように命じています。
すなわち日本を葦の中の国と表現しているのです。

天孫降臨が行われたと思われる約3000年前は、
日本列島は縄文海進によって平野が作られたばかりで、
海沿いの多くは葦に覆われていたはずです。

高天原から日本が葦の中にある国に見えていたということは、
高天原が日本の中にあるはずはなく、
海外すなわち朝鮮半島だった可能性が高いと思われるのです。

ニニギノミコトが降臨した1年前に、
天照大神の弟のスサノウノ命が出雲に降臨しましたが、
スサノウノ命は海を渡ってこられたという伝説が残っており、
このことからも、
高天原が朝鮮半島だった可能性が高いことを裏付けているのです。

ここで疑問が出てきます。
高天原が朝鮮半島だったと言うことは、
天皇家のご先祖(神々)が朝鮮半島に住んで居られたと言うことです。
そしてなぜニニギノミコトの降臨先は日向(宮崎)だったのでしょうか?

日本を治めるだけなら対岸の福岡で十分なはずです。
陸路で数百キロの道のりのある宮崎まで、
なぜわざわざ下る必要があったのでしょうか?

考えられることは一つです。
それは宮崎が天皇家の元々の故郷だったということです。
ではなぜ天皇家のご先祖は朝鮮半島に渡られたのでしょうか?

実は約7300年前に鹿児島沖の硫黄島で、
大規模な海底火山の大噴火が起こりました。
鬼界カルデラいわゆるアカホヤの大噴火です。

この大噴火は日本全土に火山灰を降らせており、
特に南九州では最大1mの地層を作るほど、
大量の火山灰が降り注いだことが、
鹿児島の上野原遺跡の地層調査で分かっています。

この時これまであった縄文集落が壊滅したのです。
これによって縄文人が全滅したと言われていますが、
硫黄島まで最短でも約50kmありますし、
海底火山と言うことを考えますと縄文人は絶滅したのではなく、
多くの住民は被害の少ない北部九州に疎開したと考えるべきでしょう。
実際この地域で使われていた磨製石斧が本土の各地で発見されていますので、
住民は絶滅したのではなくどこかへ移住したと考えるのが自然です。

日向に住んで居られた天皇家のご先祖も、
日向の住民と一緒に北部九州に移住されたと考えられます。
移住先は現在の宗像市一帯だったのではないでしょうか。
なぜならこの地域は天皇家とのつながりを強く感じさせる土地柄だからです。

ここには天照大神の両親が祭られている八所宮の存在、
天照大神の3人の娘さん(3女神)が祭られている宗像大社。
それに天皇家を象徴すると言われる前方後円墳が、
他の地域に比べて高密度で存在しているなど、
天皇家の疎開先としての可能性が最も高いと考えられるのです。

ところが約6000年前になって縄文海進の最盛期を迎え、
低地の集落が水没してしまいます。
これは佐賀で見つかった東名遺跡が当時の状況を示しており、
すべてが泥に埋まった状態で見つかったのです。

また縄文海進で大量の葦が発生し、
岩場を覆いつくしたために貝や海藻が激減したと考えられ、
狩猟生活にたよる住民に朝鮮半島に渡る決断をさせたと考えられます。

なぜなら朝鮮半島は気候の関係で葦が生息せず、
岩場が失われなかったことから、
容易に海産物が手に入ったと考えられるからです。
朝鮮半島南部でこの頃の丸木舟が出土しているのも、
このことを示唆しているものと考えられます。

以上の理由により、
天皇のご先祖が朝鮮半島に渡られたと考えられ、
そこが高天原と呼ばれたのではないでしょうか。

その後縄文海退が起こり、
約3000年前になって現在の地形にほぼ戻っていますので、
高天原の支配者が天照大神のとき、
故郷である日向への帰還を実行されたと思われます。

天照大神は高齢だったため海を渡ることは出来ず、
代わりに孫のニニギノミコトを降臨させたのではないでしょうか。

天孫降臨のルートと考えられる宗像から日向に向かう途中で、
宗像と鞍手の峠は天孫降臨の道案内をした猿田彦が祭られており、
峠の名前は猿田峠と言う名前が付けられています。
さらに鞍手には六ケ岳という山があって、
宗像大社に祭られている3女神は、
実際はこの山に降臨したのだという伝説が残っているのです。

恐らくニニギノミコトの叔母に当たる三女神が、
ニニギノミコト一行をここまで見送ったのではないかと推測できます。

記紀に韓国(からくに)に向かいと言う記述がありますが、
これは現在の韓国であるはずはなく、
宮崎県のえびの高原に韓国(からくに)岳という山がありますので、
この付近は『からくに』と呼ばれていたのかも知れません。

また延岡には昔笠沙山と呼ばれていた愛宕山があり、
記紀にも笠沙の岬の記述があり、
ここでニニギノミコトと後に夫婦になるコノハナサクヤヒメが出会ったと言われているのです。

霧島神宮にはニニギノミコトが祀られており、
西都原古墳群にはニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの古墳があることから、
昔の人は天孫降臨のルートが分かっていたのかも知れませんね。

着飾ったニニギノミコト一行が高千穂の峰を越えた時、
高天原の存在を知らない日向の住民は、
天から舞い降りたとしか思えなかったのでしょう。
それが天孫降臨の伝説として残ったのではないでしょうか。

以上のような一連の天皇家の足取りから、
日向は天皇家の元々の故郷だったと考えられ、
帰還のために天孫降臨の目的地となったと考えられるのです。


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