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人の移動から見た古代日本の歴史

   

ほとんどの歴史書は縄文時代や弥生時代に関する記述が、
他の時代に比べて極めて少ないのが現状です。
これは文字の無い時代であることから文献が無いため、
情報が限られることが主な理由ですが、
もう一つの理由は社会の仕組みが個人単位かせいぜい集落程度の
単純な社会構造であったことが考えられます。

大規模集落と言ってもまだ身分制度も発達しておらず、
社会の仕組みが単純であれば、
歴史と呼ばれるほどの変化が見られないことが関係しているようです。

しかし縄文遺跡の分布の変化を見ますと、
かなりの人口の移動があったのではないかと推測できます。
特に火山噴火や縄文海進によって、
縄文人が集団で広範囲に移動していることが読み取れるのです。

数冊の歴史書を調べましたが、
自然現象が引き起こした人の移動について言及した、
明確な記述は見つけられませんでした。

遺跡から出土する石器や土器から想像できる、
縄文人や弥生人の生活の様子と変化は、
縄文時代と弥生時代の歴史の重要なテーマですが、
自然現象によって大規模な人の移動が起こっていたとすれば、
もう一つの歴史の大きなテーマになると思われます。

ここでは人の移動に着目して、
火山噴火と縄文海進が引き起こした古代人への影響を見てみましょう。

旧石器時代の遺跡は全国各地で見られますので、
日本列島に広く生活の場があったことが分かります。
ところが縄文時代になって、
遺跡の数に極端な地域間の偏りが生じたのです。
これは明らかに生活環境が地域によって大きく変化したことを示しています。

縄文人は狩猟採集の生活が基本ですので、
食材が得られ無くなれば人々は移動せざるを得なくなるのは当然ですし、
またより多くの食材の得られる地域に人が集まるのも当然の現象です。

まず最初に人の移動を引き起こしたと考えられる自然現象は、
約7300年前に南九州の硫黄島で起こった海底火山の大噴火です。
鬼界カルデラいわゆるアカホヤの大噴火と呼ばれるもので、
南九州に最大1mの地層を作るほどの規模だったことが、
鹿児島の上野原遺跡の地層調査で分かっています。

この大噴火で住民が絶滅したと思われていましたが、
ここで使われていた磨製石斧が全国で見つかったことから、
多くの住民が南九州から逃げ出したことが分かったのです。

鹿児島から硫黄島まで最短でも約50kmありますし、
海底火山と言うことも考えれば多少被害はあったかもしれませんが、
絶滅するような地理的状況ではないと考えられます。
ほとんどの住民は被害の少ない北部九州に移動したはずです。

ところが約6000年前になって縄文海進の最盛期を迎え、
低地の集落は水没してしまいます。
これは佐賀で見つかった泥に埋まった東名遺跡が証明しています。

  *現在の平野部は縄文海進が作ったと言われており、
   平野部の標高を調べますと海水面の上昇の程度が分かります。
   私の住む宗像市では10m以上あったことが確認できます。

縄文海進によって西日本の縄文遺跡が激減し、
逆に東日本の縄文遺跡が増加していることが、
縄文遺跡の分布の時代変化から読み取れます。

  *東西の遺跡の偏りについて、
   樹林の種類の違いなどの意見がありますが、
   縄文海進と人口の変化に大きな相関が認められますので、
   私は縄文海進が最大の要因だったと考えています。

これは縄文海進によって、
西から東に人口の移動があったと考えられるのです。

縄文海進による海面上昇は東西で大きな差があったとは思えませんので、
集落の水没が原因でないことは確かです。
では縄文海進の何が西から東への人口の移動をもたらしたのでしょうか。

私はこれを葦のせいだと考えています。
縄文海進によって作られた平野部は大量の葦で覆われたはずです。
これが古代の日本が葦原の中つ国と呼ばれた理由です。

ところが葦の分布は東西で大きな差があるのです。
葦はイネ科の植物で熱帯から温帯にかけての植物ですので、
西日本は多くの葦が群生したのに対して、
気候の関係で東日本は関東地方を境として、
ほとんど生息できなかったはずです。

では葦の群生がどうして人口の移動をもたらしたと言うのでしょうか。
葦によって西日本の生活環境が悪化したのに対して、
葦の少ない東日本はその影響を受けなかった。
すなわち食材の量に差が生まれたと言うことです。

葦が群生している様子を想像してみてください。
葦は海岸の一面を覆いつくします。
岩場が葦に覆われますと、
ここで生息していた貝や海藻が激減したはずです。
貝や海藻は縄文人にとって貴重な食材ですので、
大きな打撃を受けたはずです。

さらに葦の群生は、
丸木舟で漁に出るのにも相当な障害になったはずです。
このことから縄文人たちは、
葦の生えない東北地方や朝鮮半島への移住を決断したと考えられます。

縄文海進の最盛期だった約6000年前に、
東北地方は人口の明かな増加が認められますし、
朝鮮半島では北部九州の土器に似た櫛目文土器が出土し始めるのです。
これは葦によって生活の場を奪われた西日本の縄文人が、
葦の生えない東日本や朝鮮半島に移動した何よりの証拠です。

  *以前韓国国立中央博物館から出されていた古代年表を見ますと、
   旧石器が出土したあと約7000年前まで空欄になっていて、
   これは遺跡が見つかっていないつまり人が生活した痕跡が無いことを示しています。
   そして約6000年前から突然櫛目文土器が出土し始めていることが分かります。

以上述べたように、
大規模な火山噴火と縄文海進によって、
西日本の縄文人が東日本や朝鮮半島への人口の移動をもたらしたことは、
縄文時代の大きな歴史のテーマとなると言えるのではないでしょうか。

  *関東平野でも縄文海進の影響で人の移動があったことが、
   認められています。
   上流に住んでいた住民が下流に移動した形跡があるのです。
   これは縄文海進によって大きな湾が作られ、
   大量の海水魚が入り込んだために、
   獲物を求めて住民が川を下ったと考えられるのです。

  

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