キリスト教と仏教の最も大きな違いは?
2021/04/04
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そもそも宗教とは迷える人の心を救済することが、
最も大きな役割と言えるでしょう。
その意味ではキリスト教も仏教も同じです。
ただ一番大きな違いは救済の範囲の違いです。
*キリスト教と仏教の違いの解説はネットでたくさん出てきますが、
ほとんどが教えの背景や意味の違いが中心です。
人類の心の救済と言う意味ではさほど重要な違いではなく、
誰を救済の対象にしているかの方がはるかに基本的な違いだと思われます。
キリスト教はあくまで白人が対象です。
有色人種は救済の対象どころか人間と言う意識はすらありませんでした。
西欧諸国はアジアやアフリカで植民地を作り、
住民に過酷な労働など非人道的行為を行ってきました。
またアメリカ大陸においては、
大量のアメリカ先住民いわゆるインディアンを大量虐殺したのです。
キリスト教はこれらの蛮行を黙認しました。
もしキリスト教が有色人種まで対象にしていたなら、
この蛮行は禁じられていたはずです。
このことからキリスト教の救済範囲は、
あくまでも白人に限定されていたと言うことです。
西欧人はキリスト教をアジアやアフリカにも広めました。
これは有色人種の心の救済が目的ではなく、
単に布教範囲の拡大や権力者が支配を容易にするための、
いわば政治利用と言う側面が大きかったと言うことです。
*なぜ豊臣秀吉はキリシタン弾圧をしたのか。
その本当の理由の詳細はここでは書きませんが、
一言で言えば布教活動の真の目的が他にあると言うことに、
秀吉が気付いたということのようです。
これに対して仏教の対象は、
白人や有色人種など人間に止まらず、
生きとし生けるもの、
すなわち命のあるものはすべて救済の対象になっています。
もちろん実際には仏教を理解できる人間が対象になりますが、
キリスト教がさまざまな宗教戦争を起しているのに対して、
仏教は一切の宗教戦争は起こしていません。
仏教の教えの中に命の尊厳に最も重点を置いているからです。
その証拠が禅宗の精進料理に表れています。
精進料理には一切動物の肉は含まれていません。
比較的下等であるはずの魚すら食材になっていないのです。
このことはどのような命も安易に奪ってはいけないという、
仏教の教えを忠実に守った結果なのです。
仏教は人間の優劣はもちろんのこと、
人間と動物の間でさえ違いが無いかのような教えです。
宮沢賢治の作品を読むと人間と動物を全く同等に扱っているように思われます。
これは彼の仏教信仰からきたものです。
私はこの記事でキリスト教を否定しているのではありません。
聖書の教えによってどれ程の人が救われたかを考えますと、
私はキリスト教は素晴らしい宗教だと思っています。
ただ残念なのは救済の範囲が白人に限られていたことです。
*旧約聖書によりますと神はノアの箱舟で生き残ったあらゆる生き物に対して契約を結んでいます。
すなわち人間だけでなくあらゆる動物が救済の対象になっているのです。
従ってユダヤ教もキリスト教も本来は有色人種も当然入っているはずです。
今はこの範囲は無くなったのかも知れませんが、
白人優位な意識は多分に残っている気がします。
仏教のように人間と動物を同一視する必要はありませんが、
人類みな平等の意識になったなら、
キリスト教ももっと素晴らしい宗教になるのではないでしょうか。
個人的なレベルではそのような意識を持っておられるクリスチャンも多いと思います。
少なくとも白人至上主義や人種差別的な意識は、
人間の最も恥ずべき意識で、
本来は宗教の対極にある意識だということです。
*クリスチャンの皆さんすみません。
あくまでも植民地支配やインディアン虐殺の時代のそもそも論です。
現在は全く違うということは十分認識しております。
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