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縄文海進で九州の縄文人は朝鮮半島へ、九州以外の西日本の縄文人は東日本に移動した

      2020/01/04

約6000年前をピークとして縄文海進が起こりました。
この時期の西日本では縄文土器が激減しています。
それに対して朝鮮半島では、
北部九州の土器とよく似た櫛目文土器が出土し始めています。
また東北地方では明らかな人口増加が見られます。

これは何を意味しているのでしょうか?
可能性として高いのは、
縄文海進が西日本の生活環境を悪化させたために、
より生活しやすい朝鮮半島や東北地方に移り住んだと言うことです。

気候だけ考えれば温暖な西日本より、
寒冷な朝鮮半島や東北地方の方が住みにくいはずです。
余程のことが無い限りこのような移動は無いはずです。
考えられることは一つです。
縄文海進によって西日本の食材が激減したことです。

ではなぜ縄文海進が食材の激減を招いたのでしょうか。
私は岩場が葦で覆われたために、
そこに生息していた貝や海藻が激減したのではないかと考えています。
海に依存していた縄文人にとって、
魚介類は重要な食材です。
貝や海藻の激減に加え、
丸木舟で漁に出かけるにも、
葦は大変な障害になったはずです。

葦はイネ科の植物ですので、
朝鮮半島や東北地方は生育できません。
葦によって岩場を奪われなかったこれらの地域へ、
人々は移動したのではないでしょうか。

縄文海進で海面が上昇している間は大きな地形の変化は起こりません。
上昇が止まって水面があるレベルに維持されたとき、
波の力で陸が削られ平坦地が生まれます。
満ち潮の時海水に覆われ、引き潮の時海水が引く、
この状態があさりやハマグリなどの貝にとって最適な生息環境になります。
やがて海退が始まり海面が低下していきます。
満ち潮にも海水に覆われなくなりますと葦が生え始めるのです。
こうなりますと貝は生息できなくなります。

約6000年前以降西日本の海岸部はこのような状態になったはずです。
したがって古代の日本が葦原の中つ国と呼ばれのです。
このような変化が縄文人の移動をもたらしたと考えられるのです。

貝塚の分布は縄文人の西から東へに移動を如実に表しています。
約6000年前以降人口は西日本より東北地方の方が圧倒的に多いのですが、
貝塚の差はほとんどありません。
これは縄文海退によって貝が採れなくなってから東北の人口が増えたことを意味しています。
もし初めから人口が多ければ西日本よりはるかに貝塚の数は多いはずです。

弥生時代になりますと縄文海退によって広大な平野部が現れました。
栽培技術が確立したこともあって、
栽培条件に良い西日本への人口の逆流が起こったのではないでしょうか。
弥生時代の人口が東北地方で激減しているのに対して、
西日本の人口が激増したことがこの事実を物語っています。

その後米が流通の中心となり、
いわば貨幣の役割を持つようになりますと、
米の取れない東北地方は文明から取り残され、
人口の減少が加速したのではないかと思われます。

最近の遺伝子の研究で、
以上の仮説が証明されつつあるような気がしています。

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