九州の正式な神宮はすべて九州の東側にある
そもそも神宮とは何でしょうか?
通常の神社との違いは、
例えば伊勢神宮(天照大神)や明治神宮(明治天皇)で分かるように、
一言で言いますと天皇やその一族の重要人物を祭る神社と言うことになります。
また”正式な”とは皇室が認めたものと言う意味です。
九州では正式な神宮は6か所ありますが、
そのすべてが九州の東半分にあるのです。
*宇佐神宮、英彦山神宮、宮崎神宮、霧島神宮、
鵜戸神宮および鹿児島神宮の6か所です。
これはどういうことでしょうか?
神社や神宮は主として領地や領土を守るために作られたものです。
この天皇家の領地や領土を守る神宮が東半分に偏っていることは、
とりもなおさず九州の東半分が天皇家の領地であったと言うことです。
天皇家のご先祖は記紀などから考えますと、
元々は日向に住んで居られたと考えられます。
ところが日向のある南九州は、
約7300年前に硫黄島で起こったアカホヤの大噴火で人が住めない状態になり、
大部分の住民は北部九州に移住したと考えられるのです。
*以前はこの大噴火で縄文人が絶滅したと思われていましたが、
ここで使われてた磨製石斧が全国で見つかったことから、
絶滅したのではなく逃げ出したことが分かったのです。
常識的には日向に住んで居られた天皇家のご先祖も、
北部九州に移住されたはずです。
最も可能性の高い移住先は宗像市周辺だと考えられます。
これはこの地域が、
最も天皇家とのかかわりを示す証拠が多く残されているためです。
ここには天皇家の墓と言われる前方後円墳が高密度で集中しています。
そして天照大神のご両親を祭る八所宮の存在と、
3人の娘さん(3女神)を祭る宗像大社が存在しているのです。
*このほど宗像大社と古墳群は世界遺産に登録されました。
*宗像は宗像一族が支配していたと言われていますが、
一切の資料が存在しないため謎の豪族と言われているのです。
本文の記述が正しいとすれば、
宗像一族は正に天皇家だったということになります。
このような経緯から、
天皇家の領地は日向から宗像に至る東半分だったと言うことになり、
従って6つの神宮が、
すべてこの領域に存在しているのだと考えられるのです。
アカホヤの大噴火によって約4000年もの間、
南九州は人が住めない状態になっていました。
約3000年前になって自然が回復し、
北部九州に移住していた住民による、
南九州への帰還が行われたのではないでしょうか。
天皇家が日向に戻られた出来事が、
天孫降臨の伝説として残されたのだと私は考えています。
*天孫降臨のルートと考えられる宗像から日向に至る地域には、
記紀に登場する名前が多く残っています。
例えば、
猿田峠(宗像から鞍手に至る峠)ーー降臨の道案内をした猿田彦の名前がつけられています
韓国岳ーー記紀に韓国に向かいという記述があります
笠沙の岬(ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの出会いの場)ーー延岡の愛宕山は昔は笠沙山と言われていました
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