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沖ノ島のルールが大和朝廷と朝鮮半島の交易相手との関係を暗示している

   

古代日本は大陸特に朝鮮半島を介して、
頻繁な交易が行われたことが分かっています。
ところが交易相手が、
日本人であったのか外国人であったのかが明確になっていません。

大陸からやってくる人たちを渡来人と呼んでいると言うことは、
日本人と言うより外国人という認識の方が強いのではないでしょうか。

しかしもし外国人だったとしますと大きな疑問が起こります。
それは頻繁な交易を行っていたにもかかわらず、
言葉の障害をにおわせる一切の資料が出てこないからです。

この疑問に対して、
古代人は言葉以外の特別な能力を持っていたのかも知れないと言った、
私に言わせればおかしな説でごまかされています。

もっと大きな疑問は、
沖ノ島に関してルールが存在していたことです。
沖ノ島は交易のための海の守り神として、
天照大神の長女である田心姫神(たごりひめのかみ)がまつってあります。
そこには様々なお供え物が収められており、
中には金銀製の高価な品物も含まれているのです。
そして一木一草たりとも持ち出してはいけないというルールが存在し、
長期にわたりこのルールは忠実に守られてきたのです。

ここで交易の相手が外国人だったとしてください。
このようなルールが長期にわたり守られると思いますか。
持ち出せば祟りがあるということですが、
そのような祟りを信じるという共通のメンタリティーが無ければ、
このようなルールは簡単に破られるはずです。

このことを考えますと、
両者は日本人通しだった可能性の方が高いのではないでしょうか。
さらには、
もし日本人通しだったとしても、
古来より多くの戦乱があったことを考えますと、
一時的にはこのようなルールは守られるかもしれませんが、
長期に渡るには両者の間に余程の信頼関係が無ければ持続しないはずです。

このように考えますと、
両方の支配者は同族通しだったと考えざるを得ないはずです。

続日本紀に桓武天皇の生母は百済出身と言う記述があります。
すなわち天皇家と百済王家の間で姻戚関係が結ばれたということです。
このような関係は、
元々大和朝廷と百済王家は同族関係だった考えれば理解できます。

このような前提に立てば、
なぜ頻繁な交易が行われたにもかかわらず言葉の障害をにおわせる資料が存在しないのかとか、
長期にわたって沖ノ島のルールが守られ、
お宝が奪い合いにならなかったのかと言った疑問が払拭されるのです。

もしそうであるなら、
朝鮮半島から渡ってきた古代人を渡来人と呼ぶのは間違っていると言うことになります。


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