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天皇家の真の歴史を明らかにすることは不敬に当たるのか?

      2018/09/12

私は天皇家に対する尊敬の念は誰にも負けないつもりでいます。
この私が神話の時代の天皇家の真の歴史を解明したいと思ったのは、
戦後GHQによって天皇の歴史である古事記や日本書紀を否定され、
天皇の系図は天皇の権威を高めるために捏造されたものだと言った、
全く根拠のない風潮が作り出されたことに我慢できなくなったからです。

私が最も注目したのは約7300年前に起こった硫黄島での大噴火、
鬼界カルデラいわゆるアカホヤの大噴火と、
その後約6000年前をピークとした縄文海進で、
九州はほとんど人が住めない状態になったという事実です。

天孫降臨がなぜ日向(宮崎)で起こったかということを合わせて考えた時、
元々日向に住んでおられた天皇家のご先祖が、
上記2つの災禍によってどこか(高天原)に疎開され、
その後自然が回復したために元々の故郷である日向に戻られたと考えればすべての謎が解けると考えたからです。

実際縄文遺跡は東日本に極端に偏っており、
温暖であるはずの西日本の縄文遺跡が極めて少ないのは、
上記の2つの災禍が、
縄文人の生活に西日本が如何に不都合になったかを表しています。

*私の他の記事で再三述べているように、この原因は葦の繁殖にあったと考えられます、

気候の関係で葦は西日本ほど多く発生します。

海岸に葦が繁殖しますと岩場を奪って貝や海藻が生息できなくなったのではないでしょうか。

海産物に依存する縄文人は葦の障害の少ない朝鮮半島や東日本に移動したと考えられます。

縄文海進以降、
朝鮮半島では北部九州の土器に似た櫛目文土器が出現していますし、
東日本では明らかに人口増加が見られ、

山内丸山遺跡に代表される大型遺跡が出土しているのは、
上記の2つの災禍によって、
西日本から朝鮮半島や東日本に住民の大きな移動があったのではないかと推測できるのです。

天皇家も朝鮮半島に渡られ、
そこが高天原ではなかったかと思われるのです。
高天原では日本のことを葦原の中つ国と表現しています。
これは縄文海進によって日本列島の海岸部は葦で覆われ、
朝鮮半島から見ると日本はまるで葦の中の国のように見えたからではないでしょうか。

出雲にはスサノウノ命は海を渡って来られたという伝説が残されていることも、

朝鮮半島が高天原だったことを裏付けているのです。

約3000年前頃すなわち弥生時代になると縄文海進も収まり、
疎開していた多くの縄文人たちが戻ってきたと考えたられるのです。
事実この頃西日本の人口が爆発的に増加しているのです。

この時期に天孫降臨が行われたとすれば、
ニニギノミコトの4代後の神武天皇即位の紀元前660年はおおむね妥当であり、
十分納得できる年代と言えるはずです。

戦後神武天皇は実在しないという風潮が優勢になりました。
しかし数年前産経新聞の取材班が宮崎と畿内までの神武東征のルートを取材し、
記紀に登場するよりはるかに多くの伝承の存在を確認して、
神武東征は間違いなくあったと結論付けています。

私は現在のように天皇家の歴史を曖昧にしていることで、
天皇は百済から来られたので韓国人の血を引いていると言った、
間違った認識が生まれるのではないかと考えています。

百済は日本から渡っていった縄文人が作った国ですので、
百済から来られたから韓国人というのは間違いなのです。
ずっと後になって韓国人の先祖が新羅に入り込んで実権を握り、
白村江の戦いによってすべての日本人を半島から排除したことは、
私が他の記事で解説しているように遺伝子が証明しているのです。

以上のように天皇の歴史を明確にすることは、
天皇家の歴史の誤解を解くために必要であり、
如何に天皇家の歴史が長いものであるかを証明することで、
不敬とは対極にあるものだと考えますが、
皆さんはどう思われたでしょうか?


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