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教育勅語のどこがいけないのか?

      2021/01/21

≪情報メディア発信局へようこそ≫

教育勅語は明治天皇の命によって、
国民はどうあるべきかを説いた教えです。
教育勅語を悪と唱える人たちは、
戦前の教育がこの教えをベースにしたために、
結果として大東亜戦争を引き起こしたということが、
悪と主張する根拠となっています。

ここに一本の名刀があったとします。
この刀で殺人が行われたとします。
この刀があったため殺人が行われたのだから、
この刀が悪ということになるのでしょうか?

教育勅語をいくら読んでも、
皆で国を守ろうという呼びかけはあっても侵略戦争を呼びかけるような文言は一言もありません。
むしろ私には名刀のごとき正当な教えのような気がします。

*国を守ることは悪いことなのですか?

戦争に結びつけたのは人間であり、
教育勅語ではないはずです。

更に言うなら、
この名刀を戦争に結びつけたのは日本側ではありません。
マッカーサーによる日本への謝罪で分かるように、
日本はあくまでも自衛のためにやむ負えず戦ったのです。

教育勅語を悪とする人たちの考えは、
この刀で日本は侵略戦争をしたのだという、
正にGHQによる戦後のWGIPによる、
日本弱体化政策の罠にはまった自虐史観そのものではないでしょうか。

日本は元々天皇制をベースにして作られた国です。
天皇制を無くせば日本ではありません。
教育勅語は天皇と一緒に立派な国を作ろうと呼び掛けた内容でそれ以上でもそれ以下でもありません。

*天皇のために犠牲をしいるような解釈をする人がいますがそれは曲解と言わざるを得ません。

*教育勅語を否定する人は天皇制を否定する人だと私は思っています。

その精神をもって日本軍は日本という国を、国民を、家族を守るために、
勝てる見込みのない戦争を命がけで戦わざるを得なかったのです。

現在天皇制を多くの国民が認めている以上、
どこにおかしなとろがあるというのでしょうか。

刀で例えるのが適当でないなら包丁で例えましょう。
包丁は料理には無くてはならないものです。
しかし包丁は使い方を間違えれば人を傷つける凶器にもなります。
どう使うかは人の心次第ということです。

包丁を凶器に使わないようにするには、
子供たちにどのような人間を目指すべきかの指針が必要です。
戦前の教育勅語を否定するのであれば、
教育勅語の参考になる部分をアレンジして改良し、
皆が納得するような現在にふさわしい新しい教育指針(勅語に違和感があるなら)を作ればいいだけではないでしょうか。

教育勅語を悪と見る風潮は、
私に言わせれば、
硬直したイデオロギーに凝り固まった、
戦争アレルギーの極みとしか思えないのです。

*このような記事を発信しますと、
一部に私をネトウヨとレッテル張りをする人がいるでしょう。
しかしレッテル張りは言論空間で最もやってはいけないことで、
レッテルによって思考がその中に閉じ込められ、
まともな議論が封じ込められてしまうのです。
結果として真実を追求する芽を摘んでしまうことになるのではないでしょうか。

 

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