神武天皇以前の日本の歴史(考古学が示す間違った戦後の歴史認識)
2025/04/21
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日本の歴史は戦後の教育では邪馬台国と卑弥呼から、
戦前の教育では天照大神と神武天皇から始まったことになっています。
この違いは資料の違いです。
戦後は魏志倭人伝で戦前は記紀を史実として参考にしていることから、
この違いが生まれているのです。
ここではこの賛否は置いといて、
文字での記録のない縄文時代からの日本の歴史を考えてみようと思います。
文字による記録のない歴史は考古学に頼るしかありません。
遺跡の解析や古代人骨の遺伝子解析が中心となります。
まず日本で明らかになっている考古学(主に日本の歴史特に天皇家の足跡に関連した事柄)
による出来事を見てみましょう。
1.日本列島には約4万年前から人が住み始めたと思われる。
これは約3万8千年前の旧石器が見つかっているからです。
2.日本では約1万6千年前から土器が作られ始めた。
3.約7300年前に南九州で喜界カルデラ大噴火(アカホヤの大噴火)が起こり、
九州南部は人が住めない状態になった。
4.北部九州で約7000年前の多くの曽畑式土器が見つかっている。
5.この土器は縄文海進の約6000年前以降激減している。
6.朝鮮半島は約15000年前から約7000年前までの約5000年間、
遺跡が見つかっていないことから無人だった時期があった。
7.朝鮮半島で約6000年前になって北部九州の土器によく似た櫛目紋土器が出土し始める。
8.約6000年前以降は西日本より東日本の方が圧倒的に人口が多かった。
9.約5500年前に青森に大型縄文遺跡である三内丸山遺跡が出現する。
以上の考古学の視点から次のような人の流れが想像できるはずです。
1.火山噴火によって住めなくなった南九州の縄文人が北部九州などの噴火の影響の少ない土地に避難した。
2.縄文海進によって北部九州の縄文人は朝鮮半島や東日本に移住した。
ここからは以上の人の移動に基づいて日本の歴史の中心である天皇家の足跡を追ってみましょう。
1.もともと日向に住んでおられた天皇家のご先祖は、
アカホヤの大噴火で北部九州(恐らく現在の宗像市一帯)に避難され、
さらに縄文海進が原因で朝鮮半島に渡られてそこが高天原と呼ばれた。
2.弥生時代になって自然が回復したために天皇家は元々のふる里である日向に戻られ、それが天孫降臨の神話となった。
3.天皇家は南九州を中心に活動され、イワレビコノミコト(後の神武天皇)の時に日本を治めるために東征され、畿内の橿原の宮で初代天皇として即位された。
以上になりますが、このことを裏付けるように、
九州から畿内にかけて多くの伝承や神社の他、
関連を伺わせる地名が残っています。
戦後の教育はGHQの意向によって、
すべて神話の作り話ということになっています。
戦後80年近く経つのですから、
もうそろそろ邪馬台国と卑弥呼から始まるとされる、
間違った戦後の歴史史観を改めもいいのではないでしょうか。
*歴史教科書では渡来人が日本に文明を伝えたことになっていますが、
本文のように考古学から見えるのは、
南九州の縄文人が大陸に渡って文明を築き、
弥生時代になって日本に戻ってきて文明を伝えた可能性が高いということです。
従って、
渡来人ではなく帰化人だという表現の方が正しいと思いますが、
皆さんはどう思われますか?
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