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韓国人の先祖は岩井の乱の後に半島に侵入し、白村江の戦いに勝利して半島を支配した

      2020/02/07

古代朝鮮半島は日本人が支配していました。
これは私が他の記事で紹介していますのでここでは省略しますが、
要は百済、新羅、高句麗はいずれも日本人が支配していたのです。

三国は互いに競い合い高度な文明を作っていました。
覇権争いから、
百済は大和朝廷を、
新羅は岩井を、
高句麗は北魏を後ろ盾にしていたのです。

ところが6世紀に岩井の乱がおこり、
岩井の敗北によって新羅は後ろ盾を無くしたのです。

不利になった新羅は国勢を補うために、
北部内陸の他民族を受け入れたと考えられます。
これが韓国人の先祖であるエベンキ族です。

*韓国の大学教授が次の4点をあげて主張しています。
1.顔立ちが類似している
2.言語が似通っている
3.トーテムポールなどの習慣が似通っている
4.アリランなど音楽に共通点がある

*国際的な調査でアムール川沿いの洞窟から2体の古代人骨が見つかり、
遺伝子調査の結果韓国人に最も近かったということが分かりました。
これは韓国人の原点はシベリアにあったということを示しています。

まもなくエベンキ族は新羅の実権をにぎります。

*言語学者が新羅語は初めは日本語に近かったが次第に韓国語に替わったと言っています。
このことは新羅の実権が日本人から韓国人に移ったことを示しています。

新羅が韓国人に支配されたとき、
新羅は唐に呼びかけて日本人を半島から追い出しました。
これが7世紀に起こった白村江の戦いです。
その意味で白村江の戦いは、
朝鮮半島の支配者が日本人から韓国人に移った戦いと言えるでしょう。
その後新羅は統一新羅として半島を支配し、
後の高麗、李氏朝鮮と続いていくことになります。

*白村江の戦いに敗れた百済王は日向の国に、
高句麗王は武蔵の国に逃げています。
これは両者が日本人だった証拠です。
戦に敗れて外国に逃げることは考えづらいですよね。

*宮崎県には百済王に交じって多くの百済住民が逃れてきたことから、
百済の里が作られ観光名所になっています。
百済の住民が福岡ではなくそれから何百キロもある日向に逃げたのですから、
百済人の故郷は日向だったということに他なりません。

*高句麗王はなぜ西日本でなく東日本に逃げたのか。
その理由は、
西日本は敵対していた百済と同族関係にある、
大和朝廷の支配下にあったからだと考えられます。

*高句麗王にゆかりの深い高麗若光は埼玉県日高市の高麗(こま)神社に祀られています。
高麗神社を高麗(こうらい)の神社と思われている方がおられますが、
あくまで高句麗の神社です。
高句麗は高麗の前身である統一新羅に敗れたのですから、
互いに敵対関係にあったのです。
本文で説明したように高句麗は日本人の国であるのに対して高麗は韓国人の国です。
高麗神社に韓国人のトーテムポールがあるのは間違いなのです。

*現在の韓国人のY染色体には縄文人のD系統はほとんど含まれていません。
このことは日本人の基になった縄文人がすべて半島から排除されたことを示しています。
現在韓国では日本人が歴史上の加害者になっていますが、
以上のように実際は韓国人の方が加害者だったということがお分かりいただけたと思います。

*この記事は韓国人を非難するために書いたのではありません。
西欧諸国による植民地支配やアメリカのインディアン虐殺など、
世界にはもっと非難すべきことは数多くあります。
要は過去の歴史は強いもの勝ちの時代だった(今でもそうですが)ということです。


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