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韓国人の先祖は磐井の乱の後に半島に侵入し、白村江の戦いに勝利して半島を支配した

      2020/11/17

古代朝鮮半島は日本人が支配していました。
これは私が他の記事で紹介していますのでここでは省略しますが、
要は百済、新羅、高句麗はいずれも日本人が支配していたのです。

   *言語、文化、遺伝子すべてがこのことを証明しています。
    私は宗像市にある歴史館の高名な館長に、
    古代朝鮮半島の住民が日本の縄文人であることを遺伝子で説明しました。
    彼は遺伝子は分からないと言うだけで一言も反論できず、
    その後私の顔を見ると逃げるようになりました。
    彼はこのことをすべて分かっておられるのではないでしょうか。

三国は互いに競い合い高度な文明を作っていました。
覇権争いから、
百済は大和朝廷を、
新羅は磐井を、
高句麗は北魏を後ろ盾にしていたのです。

ところが6世紀に磐井の乱がおこり、
磐井の敗北によって新羅は後ろ盾を無くしたのです。

不利になった新羅は国勢を補うために、
北部内陸の他民族を受け入れたと考えられます。
これが韓国人の先祖であるエベンキ族です。

   *韓国の大学教授が次の4点をあげて主張しています。
    1.顔立ちが類似している
    2.言語が似通っている
    3.トーテムポールなどの習慣が似通っている
    4.アリランなど音楽に共通点がある

   *国際的な調査でアムール川沿いの洞窟から2体の古代人骨が見つかり、
    遺伝子調査の結果韓国人に最も近かったということが分かりました。
    これは韓国人の原点はシベリアにあったということを示しています。

まもなくエベンキ族は新羅の実権をにぎります。

   *言語学者が新羅語は初めは日本語に近かったが次第に韓国語に変化したと言っています。
    このことは新羅の実権が日本人から韓国人に移ったことを示しています。
    言語が変わるのは支配者が入れ替わる時です。
    アメリカ大陸で英語やスペイン語になったのはこのことを意味しています。

新羅が韓国人に支配されたとき、
新羅は唐に呼びかけて日本人を半島から追い出しました。
これが7世紀に起こった白村江の戦いです。
その意味で白村江の戦いは、
朝鮮半島の支配者が日本人から韓国人に移った戦いと言えるでしょう。
その後新羅は統一新羅として半島を支配し、
後の高麗、李氏朝鮮と続いていくことになります。

   *新羅が海洋民族だったのに対して、
    高麗は内陸民族だったことがこの記事で納得いただけるはずです。

   *白村江の戦いに敗れた百済王は日向の国に、
    高句麗王は武蔵の国に逃げています。
    これは両者が日本人だった証拠です。
    戦に敗れて外国に逃げることは考えづらいですよね。

   *宮崎県には百済王に交じって多くの百済住民が逃れてきたことから、
    百済の里が作られ観光名所になっています。
    百済の住民が福岡ではなくそれから何百キロもある日向に逃げたのですから、
    百済人の故郷は日向だったということに他なりません。

   *百済が韓国の国だったら、
    多くの百済住民が逃れた宮崎には韓国語が残っているはずですが、
    そのような証拠は残っていません。
    このことは百済住民は韓国語を話していなかったということです。

   *高句麗王はなぜ西日本でなく東日本に逃げたのか。
    考えられる理由は、
    敵対していた百済と同族関係にある大和朝廷が、
    すでに西日本の大半を支配していたからだと考えられます。

   *高句麗王にゆかりの深い高麗若光(こまのじゃっこう)は埼玉県日高市の高麗(こま)神社に祀られています。
    高麗神社を高麗(こうらい)の神社と思われている方がおられますがあくまで高句麗の神社です。
    高句麗は高麗の前身である統一新羅に敗れたのですから互いに敵対関係にあったのです。
    本文で説明したように高句麗は日本人の国であるのに対して高麗は韓国人の国です。
    高麗神社に韓国人のトーテムポールがあるのは間違いなのです。
    東日本には多くの高句麗住民が逃げ帰っていますが韓国語は残っていません。
    このことも高句麗住民は韓国語を話していなかったということです。

   *現在の韓国人のY染色体には縄文人のD系統はほとんど含まれていません。
    このことは日本人の基になった縄文人がすべて半島から排除されたことを示しています。
    現在韓国では日本人が歴史上の加害者になっていますが、
    以上のように実際は韓国人の方が加害者だったということがお分かりいただけたと思います。

   *古代の歴史は文字による記録が限られ、
    しかも文献は必ずしも真実を記述しているとは限りません。
    したがって遺跡や土器の年代、地層調査からの推測、人骨の遺伝子、各地に残る伝承、
    などを総合的に検討する必要があります。

   *私の発信している記事に対してまともな反論はほとんどありません。
    まともな反論とは、
    矛盾している点を具体的にしっかり指摘することです。
    ただ否定したいだけの反論はまともな反論ではありません。
    ぜひまともな反論をお願いします。

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 - 古代日本史, 歴史