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縄文人が大陸に渡ったことが遺伝子で証明された。

      2021/03/01

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鳥取県の青谷上寺地遺跡で傷ついた人骨が多数見つかっています。
国立科学博物館がDNA検査を行ったところ、
ミトコンドリアDNAからは渡来人であること、
Y染色体からは縄文人であることが分かったのです。

  *ミトコンドリアDNA:女性が引き継ぐ遺伝子です。
   Y染色体:男性が引き継ぐ遺伝子です。

この結果について、
渡来人が縄文人と交わったことが証明されたという意見がありますが、
人骨の90パーセント以上が渡来人であることから、
渡来人自身が縄文人だったと考えるほうが合理性があるのではないでしょうか。

私がこれまで再三発信しているように、
西日本の縄文人が火山噴火と縄文海進のために大陸に渡り、
弥生時代になって大陸で生まれた秦の始皇帝の迫害を受け、
朝鮮半島経由または東シナ海を直接渡って逃げ帰ったと考えられるのです。

もし渡来人が日本人と違っていたら、
日本語に変化がみられるはずですし、
縄文文化もかなり変化したはずですが、
実際には日本語も縄文文化も明確な変化がみられないのです。

このことから渡来人自身も縄文人だったと考えられるのです。

一般に縄文人より渡来系弥生人の方が長身長顔です。
あまりにも異なる人骨から、
これまで渡来系弥生人は日本固有の縄文人とは異なる人種と思われてきました。

これは縄文人が大陸に渡ってウラル系住民と交わったことにより、
骨格が大きく変化した考えれは納得できるのです。

ウラル系住民は半分西欧人が混じっていますので、
長身長顔に変化するのは当然なのです。

ウラル系のY染色体遺伝子はN系統ですが、
現在のN系統の比率はおおよそ次の通りです。

北部中国人と韓国人   約5%
日本人         約3%
南部中国人     約0%

平均身長はこの比率が高いほど高くなっているのです。

古代中国北部の遼河文明はウラル系の人々だったことが分かっています。
縄文人が大陸に渡ってウラル人と交わった結果大型化したと考えられるのです。

いずれにせよ、
弥生時代になって大量の渡来人が日本列島に押し寄せていますが、
言語も文化も遺伝子も変化を起こしていないのは、
渡来人自身が縄文人だったということに他なりません。

*ハーバード大学と東京大学の遺伝子調査で、
 日本国内に0系統すなわち漢民族が入ったのはおよそ5世紀ごろ、
 すなわち日本に漢字と仏教が入ってきたころだそうです。
 弥生時代はまだ漢民族は入っていない縄文系のDタイプ(正確にはあとCとN)だったということです。

以上から、
弥生系渡来人はすべて縄文人。
すなわち大陸に住んでいたのは、
日本から渡って行った縄文人だったということになります。

恐らく歴史学者の皆さんはこの記事を認めたくないはずです。
なぜならこれまでの古代の歴史が根底から覆させられるからです。
しかし遺伝子がこれを示している以上否定はできないはずです。
反論のある方はコメントで具体的な矛盾点の指摘をお願いします。

   

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 - 古代日本史, 歴史