情報メディア発信局

様々な情報コンテンツを発信していきます!

倭国大乱は無かったのではないか?

      2021/02/22

≪情報メディア発信局へようこそ≫

魏志倭人伝によりますと、
古代日本は大いに乱れ、
諸国がお互いに争っていたという、
いわゆる倭国大乱の記述があります。

不思議なことに、
そのことについて日本国内には明確な伝承が残っていないのです。
それだけでなく、
大乱が起こったのならおびただし武器の破片や損傷人骨が発見されてもよさそうです。

確かに青谷上寺地遺跡のように、
北部九州から山陰地方にかけて損傷した人骨が発見されています。

私はこの損傷は日本人通しが争った傷ではなく、
中国大陸から逃げ帰った人たちのものではないかと思っています。
なぜなら人骨の遺伝子解析の結果、
彼らのほとんどは渡来人だったことが分かってきたからです。

私が他の一連の記事で主張しているように、
縄文時代に火山噴火と縄文海進によって縄文人が大陸に渡り、
弥生時代になって大陸に生まれた秦の始皇帝によって迫害を受け、
損傷を受けて日本に逃げ帰った人たちではないでしょうか。

  *女性の遺伝子であるミトコンドリアⅮNAからは渡来系、
   男性の遺伝子であるY染色体からは縄文系が検出されたのは、
   正にこのことを表しています。
   女性だけが渡来人であるはずはありませんよね。

弥生遺跡は環濠で守られていますが、
これは集落通しの争いのためではなく、
中国からの攻撃に備えるためだったと考えられるのです。

  *渡来人のものと思われる北部九州から山陰地方以外の環濠で、
   多くの損傷人骨が見つかった話は聞いたことがありません。

後に起こった白村江の戦いの時、
戦いに敗れた中大兄皇子は、
唐と新羅の連合軍が日本に攻めてくることを恐れ、
北部九州に水城を作ったり、
首都を難波からより安全と思われる近江に移すなど、
防衛を強化しました。

弥生人も同様の心境で中国からの攻撃を恐れて環濠を作ったと考えられるのです。

もし日本人同士が争った倭国大乱が本当にあったのなら、
戦争の傷跡や多くの損傷人骨、
なによりそれにまつわる伝承が多く残っているはずです。
ところが日本国内には倭国大乱の明確なそれらしい証拠がほとんど残っていないのです。

このことを考えますと、
山城や環濠集落は日本人通しの争いのためではなく、
大陸からの脅威に備えたと考えた方がいいような気がします。

  *出雲の荒神谷遺跡で見つかった358本の銅剣も国内の争いのためではなく、
   中国からの侵略に備えて用意されたものだと考えれば納得がいきます。

  *この頃の人口が九州より近畿の方が大きく増えているのは、
   大陸に近い九州より近畿の方が安全と見た住民の多くが、
   避難のために移動したのではないでしょうか。

  *倭国大乱が無かったとすれば邪馬台国と卑弥呼も存在しなかったということです。
   日本国内に邪馬台国の伝説も卑弥呼を祀る神社も存在しないのは納得できますよね。

そもそも魏志倭人伝は本当に信用できるものなのでしょうか。

  *魏志倭人伝には日本人の性格についても記述があります。
   これは日本から渡って行った縄文人から得られた情報だと思われます。
   だからと言って2~3世紀の日本の情報を彼らから得られるはずはありません。
   
日本に帰化した中国出身の石平氏によりますと、
中国は平気で歴史を改ざんする国だそうです。

国民性はそう簡単に変わるものではありません。
古代の中国の文献に間違いがあるはずがない。
と決めつけていいものか、
私は大いに疑問を持っています。

  *日本神話において神武東征の際に起こった、
   ナガスネヒコとの戦いの伝承は残っていますが、
   倭国大乱の伝承はどこにも残っていません。
   しかし日本の歴史学会は伝承の残っている神武東征は作り話、
   伝承の残っていない倭国大乱は史実として認定しています。

最後に一言。
文献は書く人の立場によって大きく変わることがあります。
客観的事実を記しているとは限らないのです。
文献は年代測定や遺伝子解析と言った科学的検証に比べて信憑性ははるかに低いはずです。
古代の文献はあくまで参考に過ぎないと言う位置付けにすべきではないでしょうか。

スポンサーリンク

 - 古代日本史, 歴史