韓国の歴史は白村江の戦いの勝利から始まった
2021/05/17
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古代朝鮮半島の百済、新羅、高句麗はすべて日本人が作った(支配していた)国でした。
これは私が他の記事で解説していますので詳細はここでは省略しますが、
要は火山噴火と縄文海進で住めなくなった九州の縄文人が半島に移り住んで作った国だったのです。
*古墳の様式、人骨の遺伝子、土器の年代がすべてこのことを証明しています。
*その他の根拠
1.高句麗語は日本語に近かったと言われています。
2.大和朝廷と百済は終始緊密でした。
3.白村江の戦に敗北した百済と高句麗の王はともに日本に逃げています。
4.半島と九州は頻繁な交流があったにもかかわらず言葉の障害を伺わせる記録がありません。
5.新羅の4代目の王は日本列島(今の兵庫県)出身という記録があります。
6.高句麗王の諡号(戒名)に南九州の地名が付けられているそうです。
7.新羅と磐井の装飾が似通っています。
8.白村江の戦いで大和朝廷は命がけで百済救出に向かいました。
9.百済の地には日本固有の前方後円墳が作られています。
などです。
では韓国人はどこからいつ朝鮮半島に現れたのでしょうか。
国際的な調査でアムール川沿いの悪魔の門と言われる洞窟の中から2体の古代人骨が見つかり、
遺伝子解析の結果現在の韓国人に一番近かったことが報告されています。
また韓国の研究者が韓国人のルーツを調べたところ、
シベリアのバイカル湖にほど近い所に居住するエベンキ族の顔だち、習慣、言語などとかなりの類似性があり、
韓国人の先祖はエベンキ族だったと結論付けています。
*具体的にはトーテムポールを作る習慣、アリランに代表される音楽の類似性のほか、
顔立ちや言語などが似通っているということです。
6世紀に磐井の乱が起こりました。
磐井の乱は新羅と九州の磐井一族が大和朝廷と百済に反抗して起こした乱で、
磐井の敗北によって新羅は後ろ盾にしていた磐井を失ってしまうのです。
朝鮮半島の3国はもともと対立関係にありましたので、
新羅は不利になった状況を打開するためにエベンキ族を受け入れたと考えられます。
新羅語は始め日本語に近かったが後に韓国語に近くなったという言語学者の説があります。、
これは九州と頻繁な交流があったにもかかわらず言葉の障害を伺わせる証拠がなかったのですが、
後に続日本紀にあるように新羅と交渉するために若者に新羅語を習わせたという記述があることから分かるように、
新羅語が変化したことを伺わせます。
言語が変わるのは支配者が入れ替わる時です。
アメリカ大陸でインディアンが排除されて英語に変わったのがこのことを表しています。
新羅の実権を握ったエベンキ族すなわち韓国人の先祖は、
7世紀になって唐に呼びかけて白村江の戦いを起こしました。
新羅はこの戦いに勝利し百済と高句麗を滅亡に追い込み、
統一新羅として半島を支配したのです。
*高句麗王は関東の武蔵の国、百済王は九州の日向の国に逃げています。
両者とも日本に逃げたのはもともと両国が日本人の国だったことを示しています。
わざわざ敵国に逃げるはずはありませんよね。
これによってすべての日本人の男が半島から追い出されました。
このことは遺伝子が証明しています。
現在の九州人と韓国人の遺伝子関係は、
男の遺伝子(Y染色体)は異なる。
女の遺伝子(ミトコンドリアDNA)は同じ。
となっています。
これは女はそのまま残った(男に支配された)が、
男だけが入れ替わった(排除された)ことを表しています。
*現在の韓国人とエベンキ族のY染色体遺伝子は全く違います。
おそらく新羅は兵士として雇い入れたはずですので、
遺伝子を変えるほどの大量な人数ではなかったはずです。
ただエベンキ族特有のY染色体C系統とN系統が日本人より韓国人のほうが多いので、
その影響が表れていると言えるのかも知れません。
韓国人の先祖は半島を統一した後、唐との関係を切り、
その後、高麗、李氏朝鮮と続くことになるのです。
以上から韓国の歴史は白村江の戦いが出発点であり、
国としては統一新羅がはじめの韓国人の国ということになるのです。
*古代の歴史は文献が限られますし、
文献も時の権力者が都合よく書いている場合がありますので、
100%史実だと決めつけることはできません。
そこで私は、
文献に加え、当時起こった自然現象、土器の年代、人骨の遺伝子などによって、
総合的に考えるようにしています。
本文はその結果導き出した仮説ですので、
矛盾点があれば是非、具体的な指摘をお願いします。
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