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邪馬台国と高天原は実在したのか?

      2023/01/01

情報メディア発信局へようこそ

この問いに対して現在の歴史教科書では、
邪馬台国は実在したが高天原は伝説上の架空の場所。
という扱いになっています。

これについて私は全く逆。
すなわち実在したのは高天原で、
邪馬台国の方が架空の場所だと思っています。

まず邪馬台国ですが、
これは中国の魏志倭人伝に記載されていますが、
日本国内には全く伝説が残っていないのです。

しかもこれを統治したといわれる卑弥呼も、
伝説どころか祀られた神社も存在しないのです。

日本では各地に数多くの伝説が残っています。
しかも重要な人物の多くは神社が作られ祀られています。

日本の歴史が卑弥呼から始まったのなら、
これほど重要な人物はいません。

もし本当に実在したなら間違いなく伝説や神社が存在するはずです。

では高天原はどうでしょうか。

これは記紀に登場するのですが、
高天原から天下った神々(天皇家のご先祖)はすべて九州で神社に祀られているのです。

これらの神々がすべて架空だとしますと天皇家のご先祖も架空ということになるのでしょうか。

縄文時代の九州の遺跡は東日本に比べて極めて少なく、
ほとんど人が住めない状態だったと思われます。

これは私が他の記事で解説しているように、
大規模火山噴火(アカホヤの大噴火)と縄文海進が原因と考えられ、
多くの住民が朝鮮半島に移住したと考えられるのです。

日向に住んでおられた天皇家のご先祖も朝鮮半島に渡られ、
そこが高天原だったと考えられるのです。

弥生時代になって九州の人口は爆発的に増加しています。

これを教科書では稲作の広がりによる自然増ということになっていますが、
最近の研究では稲作は縄文後期から行われていたのではないかと言われており、
稲作による自然増にしては余りに人口増が極端だと思われるのです。

恐らく大陸に渡っていた多くの縄文人が弥生時代になって戻ってきたと考えられるのです。

これは九州の土器の年代が証明しています。

北部九州で約7000年前の曽畑式土器が多く見つかっていますが、
その後土器がなくなっており、
約3000年前になって再び土器が出土し始めているのです。

この空白の約4000年間は、
朝鮮半島で九州の土器によく似た櫛目紋土器が出土していますので、
九州の縄文人が朝鮮半島に渡り、
弥生時代になって戻ってきたと考えられるのです。

朝鮮半島が高天原だという根拠は他にもあります。

高天原では日本のことを葦原の中つ国すなわち葦の中の国と表現しているのです。

これは縄文海進によって日本の海岸線が葦で覆われたため、
朝鮮半島から見ると日本がまるで葦の中にある国のように見えたからではないでしょうか。

またスサノウノミコトが降臨した出雲には、
スサノウノミコトは海を渡ってこられたという伝説が残っているのです。

以上のように、
邪馬台国については日本国内に一切の証拠が見つかっていないのに対して、
高天原については、
朝鮮半島にあったとすると多くの事象と辻褄があっているのです。

このことから、
邪馬台国は架空で高天原は実在した可能性が高いという結論になります。

*魏志倭人伝にある邪馬台国までの行程の記述で、
北部九州の地名と割と符合していることから信憑性が高いという意見が多いのですが、
私は九州から渡っていった縄文人からの聞き取りによる情報ではないかと思っています。
なぜなら北部九州以外の記述にはほとんど符合した地名が見当たらないからです。

*中国にとって周辺国の詳細な記録は意味がないため、
著者の陳寿が適当に創作したのではないでしょうか。
歴史学者は魏志倭人伝をもっと疑うべきだと思います。

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