歴史学者はなぜ文献を疑わないのか?
2023/01/11
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私はもともと理系の研究者でした。
退職して古代日本の本当の姿が知りたくて研究を始めたのですが、
私が真っ先に驚いたのが、
日本の歴史学者は他国の古代文献を100%信じているということでした。
中国の古代人が残した文書が正しいという前提で、
日本の歴史が成り立っていることに驚いたのです。
その文書とは日本で言ういわゆる魏志倭人伝で、
当時の日本の様子が描かれた数少ない資料ということで、
歴史学者の間では金科玉条のように扱われているのです。
しかしこれを見ますと、
ほとんど日本の中にこれを証明する明確な証拠が見当たらないのです。
*理系の感覚で言えば、大半がそうではないかという推論に過ぎず、
ほとんどが地名の語呂合わせのようなものが大半で全く証明になっていないと言わざるを得ません。
例えば、
倭国大乱の証拠、
邪馬台国や卑弥呼が実在した証拠
など未だに論争の域を出ておらず、
明確な証拠が出ていないのです。
戦前は古事記と日本書紀(記紀)が古代日本の歴史のベースとなっていました。
戦後GHQによって否定され、
それに代わるものとして魏志倭人伝が半ば強制的に押し付けられたのです。
全く学術的根拠はなく、
ただ天皇の歴史を否定したいためだけの、
完全な政治的な判断で断行されたのです。
一方、記紀の記述には日本国内に多くの証拠が確認されています。
すなわち事実を裏付ける多くの伝承や遺跡などが残されているのです。
*一例を挙げますと出雲で見つかった神殿跡です。
この神殿は国譲りの条件として記紀に記述があり、
ほぼ記述通りの構造物が発見されたのです。
このように記述と物的証拠がそろって初めて証明が成立するのです。
ところが魏志倭人伝の記述には裏付けとなる伝承も遺跡も一切存在しないのです。
*魏志倭人伝の作者である陳寿の経歴を見ても、
日本を調査できる立場にある人とは思えず、
しかも魏志倭人伝の記述には裏付けとなる伝承も遺跡も、
日本国内に一切存在しないのです。
敗戦後GHQは神のような存在になり、
日本の独立のためにはGHQの方針には逆らえなかったのです。
戦後の歴史学者たちは保身のためにこの方針を引きずり、
未だに修正することが出来ないでいます。
私は地元にある歴史館に行き、
高名な歴史学者である館長に問い正してみたのです。
はじめ現在の歴史認識の矛盾を遺伝子を使って説明しました。
彼は自分は遺伝子は分からないといって反論することなく終わったのですが、
その後私の顔を見ると逃げるようになったのです。
現在の古代歴史認識。
特に朝鮮半島と九州の関係は、
遺伝子と土器の年代を見ますと明らかな事実誤認があるのです。
この詳細は私の他の記事で解説していますのでここでは割愛しますが、
要は高名な歴史学者でさえ真実の追及に消極的な印象を持ったのです。
恐らくこれまで積み上げてきた研究実績を根底から崩されたくなかったからだと思います。
私も研究者としての経験がありますので気持ちはよく分かります。
しかし歴史は国にとって非常に重要な問題であり、
個人的なプライドに左右されて良いようなことではありません。
高名な歴史学者であればなおさら個人の利害を捨てて、
真実の歴史を解明するという社会的な責任を優先させるべきではないでしょうか。
少なくとも逃げ回るような見っともない行動だけはやめてほしいものです。
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