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古代日本の歴史認識は間違っているのではないですか?

      2024/07/20

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ほとんどの歴史学者は文献を最も重視します。

残された記録がそれだけしかなければ仕方がないことかも知れません。

しかし文字で記録されているからと言って100%信用していいのでしょうか。

現在の世の中でも、

候補者を有利にするために経歴を偽わる。

製薬会社が販売のために薬効を大げさに強調する。

食材の産地を偽装する。

など多くの不正行為が存在します。

古代の歴史において、

時の権力者が都合よく記録を残すのはむしろ当然と言えるのかもしれません。

では文献と伝説はどちらが信用できるでしょうか?

一般的な認識では伝説の方が信憑性が低いと思われがちです。

しかし全くの嘘が伝説として残るでしょうか?

一般に伝説は多くの人が経験したものが後世に語り継がれるもので、

全く起こっていないものが語り継がれるほうがむしろ不自然ではないでしょうか。

例えば神武東征の出来事は、

九州から機内までのルート上におびただしい数の伝説が残されているのです。

一か所ならともかく広範囲にわたって残された伝説を全くの嘘だと言えるのでしょうか。

そのようなことを考えますと、

私には文献よりむしろ伝説の方が信憑性が高いように思われます。

*文献の多くは限られた人が残すもの

*伝説は多くの人が体験して語り継ぐもの(限られた人の体験は語り継がれません)

伝説があってかつそれに符合した遺物が存在する。

そのような場合は歴史として認定するべきではないでしょうか。

日本神話である記紀にはそのような事例が多く存在します。

しかし日本の歴史学者は記紀はすべて神話の作り話という認識になっています。

一例をあげますと国譲りの伝説です。

国譲りとは天照大神の命令で出雲が日向に国を譲るという物語ですが、

これは記紀に書かれていて長い間神話の作り話とされていたのです。

ところが近年になって、

国譲りの条件として建設された神殿跡が見つかったのです。

記紀に記録があり、

しかも記述通りの神殿跡が見つかったのです。

それにもかかわらず日本の歴史学者は未だに国譲りを神話の作り話として認めていないのです。

ところが一方現在の歴史認識では、

魏志倭人伝に書かれているだけで国内にはその証拠が全く見つかっていない邪馬台国と卑弥呼を、

歴史の真実として歴史教科書で教えているのです。

一つも伝説が残っていないだけでなく古代の英雄であるはずの卑弥呼がどこにも祀られていないのです。

つまり実在を証明する証拠が一つも残されていないのです。

ただ中国の文献に書かれているというただそれだけの理由で歴史として認定されているのです。

これほどおかしなことがあるでしょうか?

現在の邪馬台国と卑弥呼をベースとしている古代の歴史認識は間違いではないですか?

皆さんはどう思われますか?

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