人口から見た倭国大乱のおかしさ
2025/02/02
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縄文時代後期の西日本は極めて人口が少なかったことが分かっています。
弥生時代になって急速に人口増加が起こったのですが、
歴史教科書ではこの原因は稲作の広がりということになっています。
その真偽はともかくとして、
ここでは倭国大乱について考えてみようと思います。
魏志倭人伝によりますと、
倭国は30か国程が争っていて、
女王卑弥呼が統治していた邪馬台国が統一したという記述になっています。
皆さんは違和感を感じませんか?
稲作で徐々に人口が増加する時代に、
すでに戦争するほどの多くの国が存在していたことになります。
邪馬台国は畿内説と九州説ですので、
倭国大乱は西日本で起こったはずです。
人口の遥に多い東日本での出来事なら分かりますが、
人口の極めて少ない西日本ですでに30か国も存在して争っていたというのは、
私にはとても理解できないのですがいかがでしょうか?
国は統治機構ですから短期間に出来るものではありません。
縄文晩期から弥生時代にかけて、
極めて短期間に30か国が生まれたということでしょうか?
まず国作りが先行されるはずで、
周囲と争いを起こすにはそれなりの組織だった国の体制が整う必要があるはずです。
私はこれまで、
伝説も争いのあった痕跡もないことから、
倭国大乱は無かったのではないかと発信してきましたが、
本題のように人口の観点から見ても、
30か国も争ったという倭国大乱が起こったとは思えないのですが、
皆さんはどう思われたでしょうか?
*倭国大乱が無かったとすればそれを収めた邪馬台国と卑弥呼も実在しなかった。
すなわち魏志倭人伝はすべて虚偽だったということになります。
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