邪馬台国の候補地を主張する人達に欠けている視点
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現在の邪馬台国の候補地には九州と畿内の他に、
茨木、新潟、徳島など多くの場所があり、
それぞれの根拠を挙げて主張される方たちがおられます。
多くは一見納得できそうな意見ばかりですが、
私が不思議に思うのは倭国大乱が同時に語られていないことです。
邪馬台国は30か国が争って卑弥呼が収めた国ですので、
いわゆる倭国大乱が行われた土地のはずです。
例えば徳島は周囲が30か国も納まる地形的な要素がありません。
他の候補地も同様ですが、
倭国大乱の要素も説明したうえで候補地の根拠を語るべきではないでしょうか。
私が以前から繰り返し主張していることですが、
邪馬台国と卑弥呼だけでなく、
倭国大乱の伝承も国内に全く無いことです。
このような重大な出来事が全く語られていないのはなぜなのでしょうか?
まずそのことが説明されなければ、
ここが邪馬台国の場所だと主張されても納得できるはずはありません。
私には邪馬台国と卑弥呼が実在していたとは思えないのです。
考古学的な納得できる証拠が一つも出ていないからです。
多くの鏡が出土したとか遺跡の年代が一致していると言った、
実在を前提とした推測の域を出ていないものばかりに思えるのです。
年代的に記紀に記述されている神武東征とおよそ重なっています。
邪馬台国と卑弥呼を実在にするために、
意図的に神武東征を作り話にしているということは無いのでしょうか?
戦後GHQは天皇の歴史を否定するために、
教職追放までして戦前の記紀をベースとした皇国史観を抹消しました。
その代わりが魏志倭人伝の邪馬台国と卑弥呼の歴史です。
現在神武東征の考古学的証拠が次々に明らかになっているのです。
これでもまだ戦後のGHQから押し付けられた邪馬台国論争を続けるつもりでしょうか?
私は理解できませんが皆さんは納得されていますか?
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