歴史学者は伝承を過小評価していないか?
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現在の歴史認識では神武天皇は架空の人物とされています。
私は15年間宮崎に住んだことがあり、
神武天皇の出生地である高原町には、
神武天皇の幼少期の伝承が多く残されていることを知ったのです。
架空の人物の伝承を残す方が不自然だと感じたのです。
私のふる里の福岡県宗像市には赤間と言う地名があって、
神武天皇が東征するとき、
地元の八所宮の神主が赤い馬に乗って出迎えたことから、
赤馬が赤間になったという解説がされているのを見たとき、
全くでたらめが地名にまでなるのか?
と考えたとき、
神武東征は史実で、すなわち神武天皇は実在したはずだと思ったのです。
その後本屋でたまたま、
「神武天皇は間違いなく実在した」
という書籍を見つけたのです。
これは産経新聞の取材班が、
宮崎から畿内までの神武東征のルートに沿って、
神武東征の痕跡をたどったもので、
おびただしい伝承が残されたことが記されていたのです。
中には実際に起こらなければあり得ない事象も含まれていることから、
取材班も神武天皇の実在を確信したのではないでしょうか。
最近の考古学の分野でも、
神武東征が史実だったのではないかと言う証拠が明らかになっています。
以前は神武東征の記述が畿内の地形と一致しないと言われていましたが、
その後の研究の結果、
2,3世紀の当時の地形は現在の地形と大きく異なっていることが分かり、
神武東征の記述と整合性があることから、
史実の可能性があるだけでなくその時期まで特定できることが明らかになったのです。
そもそも架空の出来事が伝承として残されるのでしょうか?
しかも九州から畿内までの広範囲に架空の伝承が造られる可能性があるのでしょうか?
もしあったとしても何の目的で作られたのでしょうか?
実際に住んでいた多くの住民が納得されるのでしょうか?
そのように考えますと、
神武東征が全くの架空の出来事だったと考える方が無理があるのではないでしょうか。
歴史学者はあくまで文献にこだわり伝承を過小評価していないでしょうか。
古代の歴史は文献が限られるために、
文献のみに頼っては歴史の解明は出来ないのではないでしょうか。
史実の可能性の高い伝承は文献と同じ扱いにしてもいいのではないかと思いますがいかがでしょうか。
私は文字で残されているから史実だと決めつける方が危険だと思います。
なぜなら文章は作成者の利害の意向が強く働く可能性があるからです。
その意味では利害の働かない伝承の方が信憑性が高いと言うことも出来るはずです。
文献があってさらにそれが考古学で裏付けられる。
ここまで揃って初めて史実と認定すべきだと思います。
倭国大乱、邪馬台国、卑弥呼など魏志倭人伝の記述は、
伝承が全く残っていないだけでなく、
明確な考古学的な証拠もほとんど出ていないのです。
これが教科書ではさも史実であるかのような書き方になっています。
まだ証明されていないことを明記してほしいと思っています。
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