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親が子供に聞かせてやりたい話 その3

      2016/04/05

今回の話は他人への配慮や思いやりに関係した話です。

天下を統一した織田信長と豊臣秀吉はその戦い方において全く逆の戦術をとりました。
信長は城を攻めるとき、のちの報復を恐れるため火のように攻めて皆殺しにするという戦略を採りました。
これは後に、
「鳴かずなら殺してしまえホトトギス」
と歌われたように信長の残酷さや短気な性格をよく表しています。

これに対し秀吉は、
「鳴かずなら、鳴かしてみようホトトギス」
という歌のように工夫を凝らした戦術を用いました。

その戦いの一端を紹介します。

ある城を攻めるとき、周りを取り囲み物資の搬入が出来なくしてしまいます。
やがて食料が尽き、敵は降伏せざるを得なくなります。

「なんだそんな戦法は昔からある兵糧攻めではないか。」

と思われた方も多いと思いますが、秀吉(正しくは軍師である黒田官兵衛)の戦術はここからが違います。
秀吉は戦況をじっくり観察し、時期を見計らって単独敵方の城に乗り込みます。

「どうだ、もうこの辺で戦いは止めにしようではないか。
もし、自分の家来になったらすべての者たちの処分は行わないし、
それなりの処遇を与えるがどうだ?」

と持ち掛けたのです。

最初は敵も警戒して容易に信用せず、この提案を受け入れません。
なにせ、秀吉は鬼のような信長の家来なのですから。

しかしやがて食料が尽き、餓死者が出始めると、どうせこのまま全員が餓死してしまうくらいなら一か八か秀吉の提案に乗ってみようかと考えるはずです。

降伏したあと秀吉はその約束を完全に守ります。
殺される運命にあった敵の武将は許されただけでなく、過分の処遇を与えられたおかげで秀吉に感謝し、今度は家来として必死で秀吉のために働くようになります。

他の敵方の城もこの状況を見ています。

次の城を攻めたとき、初めよりもっと簡単に降伏するようになります。
前の戦いで秀吉の温情を知ったからです。
このようなやり方で、次々と城を攻略し、あっという間に全国統一を果たしたのです。

これが後に秀吉が「城攻めの名人」と呼ばれた理由です。

信長の城攻めと比べて見ましょう。
どちらがうまく事が運べますか?

他人の意向を無視し、強引にやると結局は人の信任を失いいつか挫折してしまうのは信長が明智光秀に裏切られ本能寺の変で自害に追い込まれた事件に表れています。
人の心理を読み、うまく人心を利用した秀吉の戦法はどのような時代にも当てはまり、
集団で仕事を進めるうえで最も大切な考え方の基本と言えるでしょう。

親が子供に聞かせてやりたい話 その1

親が子供に聞かせてやりたい話 その2

親が子供に聞かせてやりたい話 その4

親が子供に聞かせてやりたい話 その5

親が子供に聞かせてやりたい話 その6


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