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遺伝子解析の進歩が従来の古代日本の歴史認識を根底から変える

      2021/08/14

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長い間稲作は朝鮮半島から伝わったと思われていました。
しかしイネの遺伝子解析の結果,
稲作は日本より朝鮮半島の方が後だったことが分かったのです。

このように今後遺伝子解析が進みますと、
従来古代日本の常識が根底から覆る可能性が出てきたのです。

その最も可能性があるのが、
北部九州から山陰にかけての弥生人骨の遺伝子解析です。

特に山陰の青谷上寺地遺跡から出土した損傷した100体余りの遺伝子解析の結果、
そのほとんどが渡来人だということが分かったのです。

これから何が分かるのでしょうか?

大勢の渡来人が押し寄せたにもかかわらず、
日本の言語も文化も全く変化を起こしていないのです。

もし渡来人が日本語と異なる言語と文化を持っていたら、
全く変化を起こさないはずはありません。

このことは渡来人も日本語と日本文化を持っていたということです。

これはとりもなおさず大陸に多くの日本人が住んでいたということを意味します。

この理由は私が何度も発信しているように、
縄文時代に起こった大規模火山噴火(アカホヤの大噴火)と縄文海進によって、
住めなくなった西日本の縄文人が大陸に移り住んだ可能性が高いということです。

約6000年前をピークとした縄文海進以降、
西日本は東日本に比べて極めて人口が少なくなっており、
朝鮮半島では突然北部九州の縄文土器によく似た櫛目文土器が出土し始めていることから、
縄文人が大陸に渡ったと考えられるのです。

  *6000年前以降の九州と東北の人口を比較しますと、
   圧倒的に東北の方が多いのです。
   しかし貝塚の量を比較しますとほとんど同じなのです。
   これは初めから九州の人口が少なかったのではなく、
   6000年前以前は九州の方が人口が多かったことを示しています。

弥生時代になって大陸に強大な秦の始皇帝が出現し、
その後頻繁な戦乱が起こっています。

山陰の渡来人の大量の損傷人骨を考えたとき、
時期的に見ても戦乱に巻き込まれた日本人が、
朝鮮半島経由または東シナ海を直接わたって日本に逃げ帰ったと考えられるのです。

  *一般に渡来人は長身長顔です。
   これは縄文人が大陸に渡ってウラル系住民と混血したからだと考えられます。
   ウラル系住民は半分西欧人が混じっていますので納得できます。
   ちなみにウラル人のY染色体はN系統ですが、
   この比率が北部中国人や韓国人の方が日本人より多いため平均身長は日本人より高いのです。
   南部中国人は逆に日本人より少ないため平均身長は日本人より低くなっています。

西日本の弥生遺跡は環濠が巡らされています。
従来これを稲作の広がりによる集落通しの争いがあったからだと言われてきました。

しかし明確な争いの痕跡が見られないことから、
これは大陸からの侵略を恐れて作られたと考えた方が納得できるのです。

特に山陰の荒神谷遺跡で見つかった大量の戦闘用具は、
単なる集落通しの争いでは説明がつきません。

これも大陸からの侵略に備えたものだと考えた方が納得できるのです。

以上のように遺伝子解析が進んだことによって、
従来の定説が根底から覆される可能性が出てきたのです。

今後このような流れはさらに続くはずです。
おおいに期待が高まりますよね。

最後に一言、
本文で述べたような古代日本史だけでなく、
近現代史も多くの史実と異なる常識が存在します。
また歴史だけでなく、
経済の分野でも従来の常識を覆すような、
現代貨幣理論(MMT)が登場しています。
そのようか意味で、
個人的に非常に面白い時代になっていると感じています。

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 - 古代日本史, 歴史