古代の歴史は理系の理屈で考えると真実が見えてくる
2025/05/06
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歴史は学問的には文系の領域に割り当てられています。
そのため研究対象は主に文字による記録が研究対象になっており、
文字による記録に乏しい古代の歴史は考古学に頼る必要がありますが、
考古学は年代解析や遺伝子解析と言った科学的手法が必要なため、
文系と言うより理系の分野になってしまうのです。
近年の考古学の進歩によって従来の説が覆る事象が出てきています。
一例として山陰地方で発掘された大量の損傷人骨と武器が、
何を意味しているかを考えてみようと思います。
(1)大量の損傷人骨とは、
青谷上寺地遺跡で見つかった100体余りの損傷人骨で、
遺伝子解析の結果ほとんどが渡来人だということが判明しました。
これは遺伝子解析の進化がもたらした成果と言えます。
(2)大量の武器とは、
荒神谷遺跡の 358本の銅剣 と加茂岩倉遺跡の39口の銅鐸で、
いずれも国内最多の数であることが明らかになっています。
以上2つの事象から何が言えるでしょうか?
(1)出雲で見つかった巨大神殿跡と併せて考えると、余ほど大きな権力構造が存在した可能性が高い。
(2)大量な武器は大陸からの侵略に備えた可能性が高い。
(3)損傷した渡来人は大陸で生まれた秦の始皇帝から続く戦乱が関係している可能性が高い。
これらが事実とすれば、
単なる国内の小規模な集落同士の出来事ではなく、
国家レベルの戦闘に備えた防衛体制によるものと考えられます。
これは従来より定説になっている弥生集落の環濠や高地性集落は、
稲作の広がりによる集落同士の争いというより、
大陸からの侵略に備えた防衛体制の一環だった可能性の方が高いと考えられます。
環濠や高地性集落は西日本に多く見られ、
もし集落同士の争いなら東西の違いがあるはずはなく、
西日本に偏っているのは、
大陸の脅威をより強く受ける地政学的な理由が影響していると思われるのです。
このように考古学や遺伝子解析の進歩により、
従来の定説が覆る事象が出てきました。
現在の歴史学の主流は魏志倭人伝による邪馬台国と卑弥呼の歴史ですが、
考古学から見れば記紀による天照大神と神武天皇の歴史の方が史実のように思われます。
なぜなら邪馬台国の位置や卑弥呼の墓などは、
単にそうではないかと言う憶測ばかりで明確な証拠が示されていないのに対して、
国譲りの条件とされた巨大な神殿跡の発見や、
神武東征のルートに沿って記紀に記述された出来事が多く考古学的に証明されているからです。
古代の歴史は文献しか頼れない文系の歴史学から、
科学的手法が多く取り入れられて進化を続ける考古学をベースとした理系の歴史学に変えるべきではないでしょうか。
そうすると日本の歴史は、
魏志倭人伝をベースにするのは間違いで、
記紀をベースにする方が正解だと分かるはずです。
*以下に記紀と魏志倭人伝の信憑性についてのチャットGPTの見解を記しておきます。
チャットGPTの見解
記紀に記された神武東征のルートや地名は、現代の地理や神社、伝承地と多くの点で一致しており、記紀の記述が実際の地理に基づいている可能性を示しています。これに対し、魏志倭人伝の地理的記述は不明瞭であり、実際の地理との一致が少ないため、記紀の方が史実に近いと考えられる根拠となります。
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