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出雲における国譲りの神殿跡の発見が意味すること

      2017/06/15

出雲で国譲りが史実であった可能性を表す巨大な神殿跡が見つかりました。
これはそれまで神話の中の作り話と思われていた国譲りが、
実際にあったのではないかと思われる驚きの発見だったのです。

国譲りが史実だとすると何を意味するのでしょうか。
国譲りは天照大神の命令で大国主命から日向のニニギノミコトへ、
神殿の建設を条件に出雲が譲渡された話です。

したがってこれが史実だとすると、
これまで実在が疑問視されていた天照大神、ニニギノミコト、大国主の命が、
歴史上の人物として確定すろいうことも意味していることになります。
同時に天照大神が治めていた高天原も実在する地上の世界だったことを意味し、
その所在地の特定が求められるようになったということです。

ただ現在発掘された神殿跡は国譲りのあった当時のものではありません。
余りに巨大なため何度も倒壊しその都度再建されているからです。
最初に建てられた神殿が残っているとは思えませんので、
国譲りの年代を特定することはできないと思われます。

大切なのは神話に残されている神殿建設の事実はあったということです。
そのような巨大な神殿は余程の必要性が無ければ建てられないはずです。
これをもって国譲りがあったと断定はできないかも知れませんが、
神殿が建てられたこと自体が国譲りが史実だった可能性を示唆しているのです。

これまで記紀に記載されている神話は信ぴょう性が疑問視されていたため、
歴史学者は研究対象から外していたのではないでしょうか。
神殿跡が発見され国譲りの史実の可能性が高まった今、
有史以前の日本史の本格的な議論が必要になったのではないでしょうか。

神殿が最初に作られたのは西暦659年というのが有力だそうですが、
もしそうだとすると天皇家の系図と相当な開きがあります。
天皇家が権威を高めるために系図をねつ造したことになりますが、
私は日本人は本質的に最も嘘偽りを嫌うメンタリティーを持つ民族だと思いますので、
神殿建設の時期のほうが間違っているような気がします。
実際659年は熊野大社だという異論もあるのです。

私は以前からネットで高天原は実在し、
朝鮮半島南西部だったと主張してきました。
天孫降臨の際、天照大神はスサノウの命やニニギノミコトに対し、
葦原の中つ国を治めるよう命令しているのです。

葦原の中つ国は日本を意味している言葉ですが、
日本が葦の中にあるように見える場所は日本本土にはなく、
朝鮮半島だというのがその根拠です。

また九州ではアカホヤの大噴火と縄文海進による村落の水没で住めなくなった時期があり、
天皇家のご先祖も日向の住民と共にも朝鮮半島に渡られた可能性が高く、
そこが高天原と言われる天皇家の拠点になったということなのです。

九州では縄文海進の起こった縄文中期の土器がほとんど見つかっておらず、
代わりに朝鮮半島からよく似た櫛目文土器が出土し始めるのです。
これは九州の縄文人が朝鮮半島に渡ったと考えるのが自然です。

一方出雲にはスサノウの命が船で渡ってこられたという伝説が残っており、
高天原の朝鮮半島説に符合しているのです。

日向に拠点を置く天孫族と出雲に拠点を置く出雲族の間での国譲りが、
朝鮮半島にある高天原の指示で行われた時点で、
天皇家のご先祖は西日本の大半を領有したことになり、
その後の神武天皇の東征で畿内に拠点を移して大和朝廷が成立し、
さらに日本武尊によって全国制覇がなされたというのが古代日本の歴史ではないでしょうか。

出雲の神殿跡の発見はこれまでの単なる神話として扱われていたことが、
日本の歴史に組み入れられるきっかけとなる出来事と位置付けられ、
歴史学の大きな転換をもたらす大きな意味を持っていると言えるのではないでしょうか。

神殿建設が西暦659年というのは考え直す必要がありそうです。
天皇の系図を正しいとすれば天孫降臨は今から約3000年前ということになり、
縄文改進が収まってほぼ現在の地形に戻った時期に当たり、
朝鮮半島から戻ってこられるには十分納得できる条件だったといえるのではないでしょうか。

実際鹿児島の上野原遺跡の地層調査でこの時期に再び集落が出現しているのです。
私は火山噴火と縄文改進の影響がなくなったために天孫降臨が行われたのではないか思っています。


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