文明は朝鮮半島から伝わったという従来の教育は間違っていた。
2016/03/14
長い間私たちは未開の縄文系の人々のいる日本列島に、
後から弥生系の渡来人が中国大陸から朝鮮半島を経て、
稲作や鉄器などの高度な文明を伝えたと教わってきました。
しかし最近の発掘調査や年代計測の進歩によって、
日本には古くから高度な縄文文化が栄えていて、
土器などはむしろ大陸より古いなど、
従来の概念を覆す新しい発見が出てきています。
その結果、土器や古墳などの基本的な文明の発祥は日本で、
イネの耕作技術や風習は中国の江南地方から、
対馬海流に乗って渡ってきた渡来弥生人が直接伝え、
その後朝鮮半島に伝えられたと言うのが本当の歴史の流れのようです。
以下詳しく見ていきましょう。
土器の年代を比較しますと、
鹿児島県の上野原遺跡で約7500年前
佐賀県の東名(ひがしみょう)遺跡で約7000年前
韓国の岩寺洞遺跡で約6000年前
となって日本の方が古いことが分かります。
土器の年代から人の流れを考えますと可能性として次の解釈が成り立ちます。
(1)南九州の縄文人が約7300年前に起こったアカホヤの大噴火によって、
生活が破壊され北部九州に避難して定住した。
これは上野原遺跡の地層調査でアカホヤ火山層の後、
約4000年間住民の生活跡が無くなっていることから分かります。
(2)東名遺跡から地中にどんぐりなどの食料を保管するという上野原遺跡と共通の風習が確認されていることから、
南九州の縄文人が北部九州に移り住んだ可能性が高いと考えられます。
(3)その後温暖化が進み、海面上昇が起こって平野部が水没します。
東名遺跡は泥に埋まった状態で発見されており人が住めなくなったことを示しています。
(4)しかたなく彼らは当時無人だった朝鮮半島に渡ったと考えられます。
実際韓国で当時の丸木舟が出土し、その後櫛目文土器が出土しているのです。
以上から古代朝鮮半島の住民は南九州の縄文人であった可能性が高いと言えます。
一方稲作ですが、イネの年代も炭素の同位元素による解析から、
朝鮮半島より日本の方がはるかに古いことが分かっています。
またイネの種類も原産の中国と日本に共通する品種が朝鮮半島に無いことが分かり、
イネの流れも日本から朝鮮半島という説が有力になっています。
イネの流れと人の流れは一致するはずですから、
朝鮮半島から弥生人が稲作技術をもって日本に渡来した。
と言う従来の解釈は間違っていることになります。
古墳は前方後円墳が代表ですが、これも日本の方が数が圧倒的に多く
しかも年代もはるかに古いことが分かっています。
考古学は出土したものから遥か昔の出来事を推測する学問ですから、
新しい発見によって解釈が変わることは当然起こることです。
間違った解釈をしていた学者は決して恥じる必要は無く、
間違いと知りながら頑なに従来の考えを主張することが恥なのです。
真実を追求するのが研究者の務めですから。
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