高天原は朝鮮半島南西部だった?
2016/08/28
高天原は古事記の中で神々の生まれ出る場所とされ、
天照大神の時葦原の中つ国(日本)を治めるために、
孫のニニギノミコトが天下る天孫降臨が行われたとされています。
神話として記述されているためその所在については諸説あり、
今だに確定していないのが現状と言えます。
ここでは高天原が朝鮮半島南西部であった可能性について検証してみたいと思います。
まず日本を葦原の中つ国と呼んだ理由です。
高天原から見て日本が葦の中にある国に見えていたということです。
約6000年前世界の平均気温は現在より1,2度高く、
海水面も数メートル高かったことが分かっています。
これは縄文海進と呼ばれ、
海水が日本列島の内陸奥地まで入り込み、
現在の平野部が作られたのです。
湿地帯である平野部には一面葦が生い茂っていたと考えられます。
一方朝鮮半島南部は平野部がほとんどなく、
そこから日本を見ると葦の中にある国に見えたはずです。
ではなぜ天皇のご先祖である神々がそこに居られたのでしょうか?
実は今から7300年前鹿児島沖の硫黄島で大規模な海底火山の噴火が起こりました。
鬼界カルデラいわゆるアカホヤ大噴火です。
この痕跡は日本各地に残されており、
特に九州南部では最大1mの火山灰層が見つかっています。
南九州に住んでいた縄文人は生活ができなくなり、
その多くが被害の少ない北部九州に移動したと考えられます。
彼らはそこで約1000年ほど主に漁業で生活していたと考えられます。
遺跡から貝塚や漁具が出土しているからです。
約6000年前になると今度は前述の縄文海進によって低地の集落は水没してしまいます。
これは佐賀県の東名(ひがしみょう)遺跡が泥に埋まった状態で見つかったことが当時の状況を表しています。
この時代の朝鮮半島の古代年表を見てみますと、
北部九州の縄文土器によく似た櫛目文土器が出土し始める時期に当たっているのです。
それ以前は朝鮮半島にははるか以前に僅かな旧石器がでているだけで、
ほとんど遺跡がなかったあといきなり櫛目文土器が出土しているのです。
これは村落の水没によって生活ができなくなった九州北部の縄文人が無人の朝鮮半島に移り住んだと考えるのが自然です。
このような流れの中で、天皇家のご先祖である日向の住民も朝鮮半島に渡ったのではないでしょうか。
日向の住民は半島の南西部すなわち後の百済となる地だったと考えられます。
火山噴火から4000年ほどたつと九州南部の自然が回復します。
これは鹿児島の上野原遺跡の地層調査で明らかになっています。
アカホヤ火山層で消滅した集落が再び出現しているからです。
半島の支配者が天照大神だったとき日向への帰還を模索され、
孫のニニギノミコトを派遣したのではないでしょうか。
私はこれを天孫降臨の史実と考えています。
この時期が上野原遺跡で再び集落が作られる時期と一致しているからです。
以上のように火山噴火と縄文海進によって、
天皇のご先祖の生活の場が日向から北部九州更に朝鮮半島に移り、
自然の回復によって日向に帰還されて本格的な天皇家の歴史が始まったと考えますと、
天皇が朝鮮半島から来られたとか、百済出身という噂が納得できるのではないでしょうか。
以上の考察から高天原が朝鮮半島南西部にあった可能性が高いと考えられます。
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