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高天原が日本国内には無かったと思われる理由

      2024/10/18

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高天原の本当の位置については昔から多くの説が存在します。

大きく分けますと国内説と海外説がありますが、
ここでは国内説が間違いである可能性を考えてみましょう。

記紀によりますと、
天孫降臨とは高天原を支配した天照大神の命令で、
孫のニニギノミコトが日向の高千穂の峰に降り立ったということになっています。

1.ここで問題なのが降臨という言葉です。

もし高天原が日本国内にあったとすれば降臨という言葉を使うでしょうか?

降臨は崇高な場所から降り立つという意味とともに、
簡単に(軽々しく)移動できる状況にはないニュアンスを持っています。

天照大神は自ら降臨せず孫に命じているのです。

このことから高齢だったと考えられる天照大神には移動が無理だったと考えられるのです。

もし高天原が日本国内にあったのなら、
いくら高齢でも大勢の付き添いがあれば可能なはずです。

2.次に高天原では日本のことを葦原の中つ国と呼んでいる理由です。

日本列島は縄文海進によって水没し、
西日本の海岸線は多くの葦に覆われたはずです。

高天原が日本国内にあったら、
日本のことを葦原の中つ国と表現するでしょうか?

日本が葦の中の国に見えるのは海外からではないでしょうか。

3.降臨は出雲と日向で起こりました。

もし高天原が関西や関東にあったとしたら、
なぜ辺境の出雲と日向に降臨しなければいけなかったのでしょうか?

逆なら分かりますがーーー。

以上のように高天原が国内にあったとする説は矛盾があるのです。

そこで私は高天原は朝鮮半島にあったのではないかと思っています。

上記の1.2.3.に対比してその理由を考えてみましょう。

1.朝鮮半島から降臨するためには玄界灘を渡らなければなりません。

高齢だった天照大神は当時の丸木舟では渡れなかったのではないでしょうか。
そのため孫のニニギノミコトを降臨させたと考えられます。

2.朝鮮半島から日本列島を見ますと、
縄文海進で西日本の海岸線が葦で覆われていたため、
まるで葦の中の国に見えていたはずです。
そのため高天原では日本のことを葦原の中つ国と表現したと考えられます。

3.出雲と九州(日向)は朝鮮半島から見ると対岸です。
両方に降臨するのはむしろ当然です。

以上のように、
高天原が朝鮮半島にあったと考えたほうが矛盾がないのです。

さらに言いますと、
もともと天皇家のご先祖が住んでおられたと考えられる日向は、
約7300年前のアカホヤの大噴火で人が住めない状態になっています。

天皇家のご先祖は朝鮮半島に渡られたのではないでしょうか。

これは土器の年代が証明しています。

南九州で見つかった約8000年前の土器はアカホヤの大噴火で消滅しています。
その後北部九州で見つかった約7000年前の曽畑式土器は南方性の土器と言われています。
この土器も約6000年前に消滅し、
朝鮮半島でよく似た櫛目文土器が出現しています。

このことから、
天皇家のご先祖は北部九州に移住されたのち朝鮮半島に渡られたと考えられ、
高天原が朝鮮半島にあったとすれば全く矛盾がないのです。

出雲にスサノウノミコトは海を渡ってこられたという伝説が残っているのも、
高天原朝鮮半島説を後押ししています。

高天原が朝鮮半島にあったと言うと、
外国人(韓国人)が大和朝廷を起こしたのかと思われがちですがそうではなく、
記事のごとく、
日向に住んでおられた天皇家のご先祖が移り住まれた場所だったということです。

*現在の韓国人はずっと後の三国時代に新羅に入り込んだ北方民族の子孫です。

*天皇家が韓国人ならどうして日本語を話しているのでしょうか?

結局天孫降臨とは自然が回復したために、
天皇ご一族がもともとの故郷である日向に戻られた帰還行動だったということです。

*もともと日向に住んでおられた天皇家のご先祖は、

アカホヤの大噴火から逃れて全国に避難されたはずです。

単に高天原を天皇のご先祖が居られた場所と定義すれば、

国内のいたるところを高天原と呼べると思います。

しかしあくまで天照大神が支配されていた場所だと定義すれば、

本文のような理由で朝鮮半島が最も可能性があるのではないでしょうか。

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